親愛なる祈りの家族の皆様。将来には希望があります。
困難な時こそ希望を大きく持ちましょう。希望を持つとは、未来に向かって自分から積極的に関与することです。何も出来ない時も、希望が実現した時のために心を備えるのです。「コロナによって苦しめられている今、希望など持てない」とおっしゃいますか。そんなことはありません。確かに感染者がどんどん増えて、医療崩壊が始まっています。けれども、もうどうすれば防げるかは今では誰もが知っています。それさえも疲れてうんざりしているかもしれませんが、もうひと踏ん張りです。感染がなくなった時のことを想像しながら、これからも正しい行動に努めましょう。もうすぐ親しい人々と自由に会って楽しい時を持つことができます。遠くにいる子供たちや家族や親戚にも、しばらく会えないでいた教会の兄弟姉妹たちとも親しく交わりの時を持つことが出来るようになります。しかし、今が大切な時です。
イエスを信じる者の希望は、実現に向かって行動が伴うのです。ただ待つだけでなく、祈りつつ困難と向き合い、それを克服した時に備えて行動するのです。そうすれば、力と勇気が与えられて、今ある困難にも正しく立ち向かうことができるようになります。
望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。
(ローマ人への手紙12章12節)
私たちの周りから困難がなくなることはありません。全てが順調で、問題が何もなければ希望を持つ必要もありません。この世で私たちが経験する困難の全てが、私たちに希望を与える材料だと思ってください。困難があるからこそ希望を持って前進するのです。
あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。(ヨハネの福音書16章33節)
全ての患難に勝利されたイエスのことばに従って困難に立ち向かい、希望を見えなくしている不信仰の力に勝利してください。
そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ人への手紙5章3-5節)
イエスのことばによって本物の希望を持って生きる者となって、その生き方を世に示しましょう。神の愛は聖霊によって私たちの心に注がれています。その愛はさらに私たちから溢れ出て、周囲の人々に注がれているでしょうか。日々の祈りを通して主イエスと顔を合わせていれば、どんな困難にも希望を持って立ち向かう力が湧いてきます。私たちは御子イエスの名によって天の父に願い求めているのです。それならば、目に見える状況がどんなであれ、いつまでもくよくよと悩んでいる必要はありません。
神は私たちの足りなさや不完全さを知っておられます。その上で私たちを愛してくださっているのです。私たちが良い人間だからではなく、失敗だらけで不完全なありのままの私たちを愛してくださっているのです。そこに私たちの希望があります。
神から離れて困難や苦しみの重荷を負っている人類に、神はイエス・キリストによって希望の光を灯してくださいました。私たちの罪はこの方によって取り除かれたからです。ですから、私たちの希望は間違いなく、あなたにも私にも平安と喜びをもたらしてくれるのです。
神は全知全能ですが、私たちから遠く離れた方ではありません。イエス・キリストという、私たちと同じ人となって、罪と禍に満ちたこの世に来てくださったのです。だからこそ、どんな罪人も、どんな不完全な者も、この方によって希望を持って神に近づくことができるのです。
病気が癒されることも経済的な心配から開放されることも必要です。けれども、それが満たされるだけでは十分ではありません。神はそのことをご存知です。私たちの肉体の健康や命には終りがあり、この世のものは永遠には続かないからです。けれども、私たちが、神から与えられる永遠に続くものに希望をおいて生きるなら、失望に終ることはありません。神が私たちに与えようとしておられるものは全て良いもので永遠に続くからです。
今のこのような困難な時こそ、私たちは自分のためだけでなく、周りの人々のためにも愛と思いやりに根ざした行動を取ることにしましょう。聖霊によって私たちに注がれている神の愛こそがその原動力となるのです。そうすれば私たちの希望は失望に終わることはありません。イエス・キリストを信じている者の希望は周りの人々にもきっと明るい光を投げかけることでしょう。それがまた、私たちを神に喜んでいただける者へと成長させてくれるのです。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード祈りの家族
桜井 剛