祝福のメッセージ:2021ー03


No.202103

復活の日、完成の日をめざして

 戦争や戦争のうわさを聞くことになりますが、気をつけて、うろたえないようにしなさい。そういうことは必ず起こりますが、まだ終わりではありません。御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての民族に証しされ、それから終わりが来ます。(マタイの福音書24章6、14節)

 わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。(ヨハネの福音書6章40節)

 私たちが住んでいるこの世界はいつまでも永遠に続くのでしょうか。気候変動、温暖化、環境汚染、など、今すぐにでも解決しなければならない問題がたくさんあるのに、いまだに解決の見通しもついていません。

 世界的な疫病が何度も世界を脅かし大勢の人がそれによって亡くなりました。今もコロナが世界中の人々を苦しめ、命を脅かしています。

 その上、民族や思想の違いによる対立と争いは地球上のここかしこで果てしなく続いています。人類の歴史には戦争と戦争のうわさは絶えることはありませんでした。文明が目まぐるしい進歩を遂げた今も、その危険が去るどころか増しています。世界中には人類を何度も滅亡させることができるほど多くの核兵器が保有されていると言われています。人類はいつか自分たちの手で自分たちの滅びを来させると恐れている人が少なくありません。

 実際、1962年のキューバ危機の時には、もう少しでアメリカとソ連の間で核戦争が始まるところでした。もしその時、核兵器を用いた世界戦争になっていたら、私たちは今も生きているでしょうか。まだ終わりではなかったことは神の憐れみです。私たちにはまだ証しの時が残されています。やり残していることがあるとしたら、今それを実行しましょう。終わりの日は必ず来ます。そんなに遠い先のことではありません。

 御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての民族に証しされ、それから終わりが来ます。(マタイの福音書24章14節)

 イエスは天の父なる神の御心を伝えるために来られました。イエスの目的はこの世の善悪をさばくことではありません。神から遠く離れてしまった人々が恐れや孤独を抱えたままこの世を去ることのないよう、神の愛と赦しの福音を伝えるためでした。こうして私たちのために神のもとに帰る道が開かれたのです。復活なさったイエスは終わりの日が来る前に、全世界の人々に福音を伝えるよう、弟子たちにお命じになりました。ですから、世界の全ての民に福音が伝えられるまでは、神は愛と忍耐をもって私たちを見守っておられます。

 イエス・キリストを心に受け入れて生きるなら、その人の人生は変わります。そのためには伝える人自身がイエスによって変えられていなければなりません。そのような人が家庭や職場や学校にいれば、周りの人にも伝わり、その人が変えられるチャンスが生まれます。

 「私はそんな立派な人間ではないからクリスチャンにはなれない」という声をよく聞きます。聖人君子になって立派な姿を見せなければいけないということはありません。完全な方は、ただイエスだけです。イエスにすがりイエスに助けられて永遠のいのちの希望を持って生きる姿を見てもらうだけでいいのです。決して立派でなければ伝道はできない、ということはありません。失敗があってもいいのです。優秀な模範的な人生を人に見せようとする必要はありません。そんな人がいたら、かえって敬遠されてしまうかもしれません。イエスに頼って生きるありのままの姿でいいのです。それなら私にもできる、と思う人がきっと大勢います。自分の人生を通してイエスを見せること、それが福音であり、伝道です。立派な人でなくても神はお用いになります。実際にイエスがお用いになった弟子たちは皆(おそらくパウロ以外は)無学で欠点だらけの普通の人たちでした。

 あなたがイエスを信じて、イエスに助けられつつ生きることは、天の父なる神のご計画です。イエスはそのような人を「終わりの日に復活させ、永遠のいのちに迎え入れる」と約束してくださっています。イエスを信じる人にとって、終わりの日は、悲惨な恐ろしい日とはなりません。喜びの声をあげて神を賛美する日です。

 神を信じない人々にとっては終わりの日は恐ろしいさばきの日となります。しかし、一人の人が滅びるのもお望みにならない神は、私たちに愛と赦しの福音をお委ねになりました。私たちの役目はそれを大切な人に届けることです。

 イエスを救い主と信じる人にとっては、終わりの日は復活の日です。イエスと同じ栄光の体となり、永遠のいのちを受ける完成の日となるのです。

  まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。 (ヨハネの福音書5章2節)