No.202107
わたしだ。恐れることはない。
そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」 彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。
人々は、イエスのなさったしるしを見て、「まことに、この方こそ、世に来られるはずの預言者だ」と言った。そこで、イエスは、人々が自分を王とするために、むりやりに連れて行こうとしているのを知って、ただひとり、また山に退かれた。夕方になって、弟子たちは湖畔に降りて行った。そして、舟に乗り込み、カペナウムのほうへ湖を渡っていた。すでに暗くなっていたが、イエスはまだ彼らのところに来ておられなかった。
湖は吹きまくる強風に荒れ始めた。こうして、四、五キロメートルほどこぎ出したころ、彼らは、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、恐れた。しかし、イエスは彼らに言われた。「わたしだ。恐れることはない。」
それで彼らは、イエスを喜んで舟に迎えた。舟はほどなく目的の地に着いた。(ヨハネの福音書6章11–21節)
この記事は、イエスが5つのパンとわずかな魚で5千人以上の群衆を養われた直後の出来事です。人々はこのような力を発揮することのできる方を自分たちの王にしようとしていました。奇跡によって人々に食べ物を与えることができるだけでなく、病人をいやし、目の見えない人や、足の萎えた人を元気に歩かせ、死人さえも生き返らせることのお出来になる方を、自分たちの王に迎えたら、もう困ることは何もない、ローマの支配からだって解放される、そう思うのはごく自然なことでした。しかし、それは神の御子が世に来られた目的ではありませんでした。もっと根本的な問題を解決するためでした。
自分の罪さえどうにもできない人間がそのままでは、神の国の住民にはなれないことをイエスはご存知でした。そこでイエスは身を引いて、祈るために淋しいところに退かれました。
このような時にイエスがどこに行かれるのか、日頃から行動を共にしていた弟子たちには見当がついていたでしょう。彼らはイエスのあとを追ってガリラヤ湖を渡り始めました。すると間もなく逆風に流されて船を進めることができなくなり苦労していました。真夜中になって、向かい風にほんろうされていた弟子たちはイエスが湖の上を歩いて近づいて来られることに気づきました。その姿を見て、彼らは恐怖に襲われ、幽霊だと言う者もいて大騒ぎになりました。そこでイエスは「わたしだ。恐れることはない。」と声をおかけになったのです。
イエスを信じていても、大きな困難に直面すると恐れおののいてしまいます。誰でも、自分の力ではどうすることもできないような大きな困難に直面することがあります。イエスは奇跡を行なってくださる方であり、祈った時には道を開いてくださる方であることも知っています。けれども、突然の事故や病気のために窮地に追い込まれたりします。その困難に力いっぱい立ち向かって克服しようと努力はしますが、自分の力が及ばなくなることもあります。弟子たちはイエスが奇跡を行なって飢えた大群衆をわずかなパンと魚で養われたのを見てきたばかりでした。けれども、向かい風にほんろうされて困難に直面すると、その信仰が揺らぎ、恐れによって平安を失ってしまいました。
私たちも、いつもとは違う困難に直面すると、パニックになって正常な判断ができなくなります。たとえ、私たちが大きな困難のために恐れおののいてイエスのことを忘れてしまうようなことがあっても、イエスはそこにおられて、私たちの状態を知ってくださっています。そして「わたしだ。恐れることはない。」と言ってくださるのです。
弟子たちがイエスを舟にお迎えしたとき、問題は解決して、舟はほどなく目的地につきました。
イエスは私たちを初めから終わりまで見通しておられます。ですからどんなことがあっても恐れる必要はありません。困難からしばらく目を離して、イエスに呼びかけて、イエスを心にお迎えしてください。あなたの人生と言う小舟は、しばしば嵐に襲われて、激しく揺れ、頼りなく思われるかもしれません。そんな時にはイエスが一緒に乗ってくださることを思い出してください。主が一緒ならあなたの舟は無事に目的地に着きます。
私たちは一日中イエスのことだけを考えていられるわけではありません。全てのクリスチャンが修道院の中で生活しているわけではありません。仕事があり、日々の暮らしがあり、毎日忙しくしています。イエスのことから心が離れることは誰にもあることでしょう。けれども、イエスがあなたを忘れてどこかに行ってしまわれることはありません。
もし、あなたが「もうだめだ、どうにもならない」と思ったなら、しばし静まってイエスのこの御声をもう一度聞いてください。きっと新しい力が湧いてきます。「わたしだ。恐れることはない。」