2021年8月
親愛なる祈りの家族の皆様
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(コリント人への第二の手紙7章17、18節)
誰でも、過去の失敗を悔やんだり、「ばかなことをしてしまった」と自己嫌悪に陥ることがあります。失敗をしない人などいません。けれども大丈夫です、失敗はそれを反省し、その経験から多くを学んで、前に進む力にすれば、かえってその人の人格形成に役立にちます。ですから、失敗をいつまでもくよくよと思い起こしては悩む必要はありません。
折しも、オリンピックの最中です。多くの選手たちが厳しい訓練を重ね、技術を磨いてその力を競い合っています。けれども、すべての人が予定通りに実力を発揮できるとは限りません。極度の緊張や一瞬の心の迷いや不安によってあっという間に失敗してしまいます。いかにして自分をコントロールをして平静さを保ち、鍛えてきた技を見せることができるか、この点に栄光のメダルがかかっているのです。彼らの体と心の強さはそれを見る人に大きな感動を与えるのです。また前回は失敗してもさらに強くなって戻ってきた人たちもいます。失敗を無駄にはしなかったのです。これには勇気づけられます。
私たちの人生にも予定通りにいかないことがたくさんあります。けれどもそれで終わりではありません。失敗を克服して、さらに成長できることを忘れないでください。
私たちは悪意を持って他人に大きなダメージを与え、重大な結果をもたらす失敗はしないかも知れません。だからと言って罪がないというわけではありません。日常生活の中で故意にあるいは無意識のうちに身近な人たちを傷つけてしまうことがあります。失敗のない完璧な人生を送ることは私たちにはできません。では、罪や失敗を犯してしまう私たちは神の前に何の価値もない捨てられてしまうべき者なのでしょうか。決してそうではありません。神は私たちの古い性質を造り変えて、キリストと共に生きる新しい自分となって人生に挑戦する機会を与えてくださいます。
神は私たちが人生を悔やみ、苦しみつつ滅びていくことを願ってはおられません。失敗を次の成功に役立ててくださる方です。そのためには、その失敗を誰かのせいにしたり、境遇のせいにしないで、それを自分のものとしてしっかりと受けとめて、次に役立てる謙虚な心を持つことが大切です。
神は砕けた悔いた心を決して軽んじることはありません。「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる」と詩篇34篇18節にある通りです。
イザヤもこう預言しています。
わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。(イザヤ書57章15節)
私たちの罪はイエス・キリストの十字架によってすでに清められています。イエスを自分の主として受け入れた私たちは、新しい出発をしました。古い自分の性質がひとつひとつ変えられて、キリストに似た者へと近づけられていく旅が始まったのです。だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者だからです。でも私たちは今その旅の途中です。まだ完成された者ではありません。ですからこれからも失敗はあるでしょう。しかし、幸いなことに私たちは完成を目指して進んでいるのです。やがて主イエスに顔と顔を合わせてお会いする時、私たちは美しく完成した姿となります。
ですから、自分の失敗ばかりに目をとめないで、イエス・キリストを信じて新しくされた自分を認識して、神が約束しておられる、将来の自分の姿を望み見て進みましょう。
オリンピックではメダリストはわずかでほとんどが敗者と呼ばれます。でも人生は誰かと勝ち負けを競っているわけではありません。神は全ての神の子どもたちが勝者となることを願い、また、勝者となれるように常に助けてくださいます。
アスリートたちが口々に「声援が力になった」と言っているのを何度も聞きました。私たちにも声援を送ってくれる人たちが山ほどいます。聖書に登場する信仰の偉人たちは勿論のこと、クリスチャンの先輩たち、主にある友人たちがみな、あなたの信仰の成長と完成を願い応援しています。私も、世界中の祈りの家族と共にあなたの応援団の一員です。ですから、今からでも、古い過去の自分を脱ぎ捨てて、キリスト共に生きる新しい自分となって、今日からの人生に挑戦してください。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード祈りの家族
桜井 剛