祝福のメッセージ:2021ー08

No.202108

あなたがたは心を騒がしてはなりません。

神を信じ、またわたしを信じなさい。

 「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。(ヨハネの福音書14章1-3)

 これは、イエスが12人の弟子たちと最後の晩餐の席に着いておられた時に言われたことばです。イエスは、間もなくご自分が十字架にかけられて去って行かれることを弟子たちにはっきりとお告げになりました。弟子たちはまだその意味を良く理解していませんでしたが、何かとんでもないことが起ろうとしていることを感じて恐れと不安でいっぱいでした。「先生、それはどういうことですか」と聞くことさえ恐ろしかったのです。ですから、これから直面する大きな試練を乗り越えられるよう、イエスはこう言われたのです。彼らには今こそ確かな励ましと希望が必要だったからです。

 イエスは予告なさった通りにその夜のうちに捕らえられ、翌日には十字架の上で息を引き取り、そして三日目に復活なさいました。弟子たちはその全てを目撃したのです。そこから彼らの特別な任務が始まりました。証人としてイエスの死と復活を宣べ伝えることでした。

 彼らの前途には大きな苦難が待っていました。イエスを十字架刑にしたユダヤ人指導者たちの執拗な迫害はさらに続くからです。けれども、弟子たちはイエスが約束してくださった通りに、聖霊の力を受けると大胆に福音を伝え始め、力あるわざと奇跡がそれに伴いました。迫害はやむことなく彼らを苦しめ続けましたが、イエスは始めから全てご存知の上で、「心を騒がしてはなりません。神を信じまたわたしを信じなさい」と言われたのです。これは、イエスの福音を全世界に伝えるために出て行って、激しい迫害を受けつつも、素晴らしい神のみわざを次々と見ることになる弟子たちへの励ましのことばであると同時に、現代の私たちへの約束でもあります。

 私は学生時代に山岳部に入っていました。初めて険しい南アルプスに登ることになった時、果たして自分にできるのかとても不安でした。大きな荷物を背負って、テント生活をしながら、何日もかけて山から山へと歩き続けることは、とても大変でした。けれども、普通では見られない素晴らしい大自然の姿が、目の前に広がっていました。その頃に信仰を持ち始めていた私は、神の創造のわざである雄大な山々の姿を見て感動し、疲れも足の痛みも忘れてしまいました。

 弟子たちは、日々激しい迫害が続く人生を歩むことになりました。けれども、その歩みの中でも、聖霊の働きによる神のみわざを次々見ることができました。イエスの名によって多くの人が癒され、救われて人生が変わり、一日に何千人もの人々が信仰の仲間に加えられました。

 それを見た弟子たちの心は躍ったことでしょう。決して苦しいことばかりではありませんでした。やがて、ペテロを始めイエスの弟子たちの多くは殉教の死を遂げることになります。けれども、彼らの人生は決してみじめではなく、喜びと感謝に溢れたものでした。どんな苦難があっても、それを補って余りある、栄光に輝く人生でした。彼らの前途に待つ労苦を全て承知しておられたイエスは励ましのことばを弟子たちの心に遣されたのです。それ故に弟子たちは困難の中でも大胆に福音を語り続ける事ができました。彼らには帰るべき家が主イエスから約束されていたからです。

 当時の弟子たちも、現代の私たちも同じ使命を帯びています。私たちも周りの人々にイエスの名とその福音を伝える使命を受けています。それはとても勇気のいる仕事です。家族や友達に対してすら、イエスの名を伝えることに困難を感じてしまうでしょう。けれども大丈夫です。イエスは「心を騒がしてはいけません。神を信じわたしを信じなさい」と言われました。

 欠点のない、立派な人でなくてもよいのです。自分の弱さもしっかりと受け止めて、ありのままの姿で主イエスの前に出ましょう。力は私たち自身からではなく、主から来るのです。うまく話せないと心配する必要はありません。魂を救うのは私たちの言葉ではなく、主のみことばだからです。私たちの説得力ではなく聖霊の力によるのです。あなたがイエスに忠実でありさえすれば、イエスはその道中であなたに素晴らしい情景を見せてくださいます。

 家族が信仰に興味を持つようになった、友人が教会に行くようになった、という証しも祈りの家族の中では珍しいことではありません。

 私たちの日々の生活の中にも心配事や心を騒がせる状況がたくさんありますがイエスは全てを知っておられます。コロナウイルスの脅威、経済的な心配、失業の不安、健康の問題や老後の心配も大きいことでしょう。そのような中を喜びと感謝を忘れずに生き抜く姿は、次の世代への手本となります。どんな困難を通るとしても私たちにはイエスと共に憩う永遠の住まいが約束されているのです。

 イエスは言われました。 

「わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、

また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。」