親愛なる祈りの家族の皆様
あなたは毎日神のことばに親しんでおられますか。「毎日忙しくて時間がなかなかつくれない」とおっしゃるかもしれません。確かに、今の時代はますます忙しさが増し加わっています。けれども忙しいと感じる時こそ、一層、神の助けと導きが必要な時です。私たちの毎日には、たくさんのことが心にかかっていて、余裕というものがないことがあります。食事も、バランスの取れた良い食物を、ゆっくりと楽しく食べることは、健康な体を維持するために大切です。分かっていても、忙しいから手早くインスタント食品で済ませてしまうこともあるかも知れません。けれどもそれは健康に良くありません。聖書のことばは霊的な食物です。神のことばがあなたの霊的な健康を保ってくれているのです。忙しい時は、短い時間でもよいのです。一節でも、一句でも、いつも神のことば、聖書にふれていることが大切なのです。時間のある時には、ゆっくりと聖書のことばを味わってください。毎月の暗証聖句を目に付くところに貼っておくことも助けになります。
祈りの家族の皆さんの中には、毎日時間を決めて、聖書を読むことにしている方もおられます。それはとても素晴らしいことです。ぜひ続けてください。私は毎朝、まず聖書を読み、皆さんの祈りのリクエストのために祈り、自分自身のために、また神との交わりを身近に保つためにも祈ります。
ですから、今月は皆さんが日々神のことばにふれていることの大切さについて、お話ししたいと思います。聖書のことばをいつも身近に感じていてください。人生の危機に、そのことばがあなたを守り、助けてくれます。
私たちは、特に日本では、生ける本当の神を知らない環境に囲まれていて、常にその方向に流されてしまいます。うっかりすると遠い沖まで流されてしまい、どんなに努力しても、自分の力では戻れないところまで行ってしまうかも知れません。そんな時もあなたの心の隅に残っていた一つのみことばが、あなたを主にある平安へ引き戻してくれることでしょう。
私は子供の頃、親に連れられて、近くの海に海水浴に行くことが楽しみでした。「遠くに行っちゃだめだよ」と言って浮き輪を付けてくれましたが、水の中を自由に動きまわることは、とてもそう快な気分でした。けれども、夢中になっていて、いつの間にか遠く沖まで流されていたことがありました。ふと岸を振り返って見ると、海岸にいる人々が小さく見えるだけで家族がどこにいるのかわかりません。水は深く足は届かないし、子供の私にはとても自力で戻れるような距離ではありませんでした。怖くて泣き出しそうになりました。ところが、その時心配して近くまで来ていた父が声をかけてくれました。どんなにうれしくほっとしたことでしょう。それ以後は、必ず、たとえ浅瀬にいるときでも、岸と平行に泳ぎ、いつも岸に目を向けて、親たちの姿を確認するようになりました。
同じように私たちは、どこにいても何をしているときにも、時折り神のみことばに思いをはせて、自分の霊的な位置を確認しておくことが大切です。「今、私の魂は安全なところにいるだろうか。この世の波と風に流されて、神から遠く離れてはいないだろうか」
聖書のことばは、真理の知識を与えると共に私たちの心に響くものです。魔法のことばや呪文などの類とは全く違います。そのことばとあなたとの結びつきに意味があるのです。あなたとみことばとが一つになってこそ、成しとげることができるわざです。みことばがあなたの心に語りかけ、力を与えて、良い方向に進むようにと導いてくれるからです。ですから、まずあなた自身がみことばを心に蓄える必要があります。私が皆さんに毎年の聖句をさしあげたり、毎月暗証聖句のカードをお送りしているのはそのためです。どんな時にも、あなたが神の近くで生きてくださるようにと願っているからです。
神のことばである聖書の教えをいつも心にとどめていましょう。そうすれば、たとえ遠く流されてしまうようなことがあったとしても、心に残る聖書のことばがあなたを神のみもとに引き戻してくれます。私たちは神の子どもだからです。
あなたのみことばは私の足のともしび私の道の光です。(詩篇119篇105節)
みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。(130節)
あなたのみおしえを愛する者には豊かな平和があり、つまずきがありません。(165節)
私たちは神の子どもです。ですから神の子どもらしく、いつも神の呼びかけに耳を傾けていましょう。そうすれば、どんなことがあろうとも、あなたは守られているのです。
あなたは愛されているからです。
レックス・ハンバード祈りの家族
桜井 剛