祝福のメッセージ:2021ー09

 No.202109

心を尽くし、思いを尽くし、知力をつくして、
あなたの神である主を愛せよ。
あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。


 ひとりの律法の専門家が、イエスをためそうとして、尋ねた。「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。 律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」(マタイの福音書22章3540節)

 ユダヤ人の宗教的な指導者たちは彼らなりに聖書に精通していました。彼らはイエスがしばしば聖書の教えを民衆に分かりやすく教えておられたのを知って、自分たちの知識でイエスを試そうとして、質問を仕掛けてきました。けれどもイエスの明快な答えに、彼らのたくらみはいつも失敗していました。

 今回も彼らはイエスを困らせて、非難する口実を見つけようとしてイエスに質問しました。

 「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」

 イエスはどうお答えになったのでしょう。今回はその時のイエスの答えから学びましょう。まず神を愛すること、そして自分を愛するように人を愛すること、この二つがいわば二本の柱となって社会全体を支えるのです。これが律法の中心であるとイエスはお答えになりました。

 聖書が教えている律法はモーセの十戒を基本として、レビ記、民数記、申命記の中に守るべきことが細かく書かれています。律法学者たちはそれらの教えを律法と呼んで、それを守るよう人々に教えることを仕事としていました。ですから、少しでもその教えに反すると、すぐそれを指摘して人を裁き、非難するのです。

 本来、法律や規則は人々が互いに理解し、助け合って幸せに暮らすためのルールでした。けれども、それがいつしか人々を束縛し、余計な重荷を負わせるようになっていたのです。イエスはそれに心を痛めて、律法の本質をお示しになりました。神が私たちに求めておられることの真意をお教えになったのです。

 愛の本質は神の中にあります。人の中にはありません。全ての人は愛の潜在能力を与えられて生まれてきましたが、この能力が引き出されるためには、まず愛されなくてはなりません。赤ちゃんとお母さんを想像してみてください。お母さんが赤ちゃんをやさしく抱き、微笑みかけ、語りかけます。すると赤ちゃんもにっこりして、うれしそうな声をあげます。お母さんの愛を感じ取りそれに応えようとします。まだ言葉が分からなくても愛は分かるのです。私たちは愛されて初めて、愛することを学びます。

 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。(ヨハネの第一の手紙4章9、10節)

 これほどの愛を知ったら、私たちはそれにどう応えることができるのでしょうか。ただその愛を受け入れ、感謝するばかりです。私たちの、神への愛はここから始まります。

 私たちが全身全霊をもって神を愛することは、私たち自身の大きな祝福と平安につながります。いい加減で中途半端な態度ではなく、心を尽くし、思いを尽くし知力を尽くして愛することこそ、愛する者にも、愛される者にも素晴らしい結果を実らせるのです。何よりも、神こそが、そのような愛を受けるにふさわしい方だからです。私たちの全身全霊をもって神を愛することこそ、私たちに与えられた第一の戒めです。イエスはそれに、もう一つのことをお加えになりました。人を愛することです。

 自分を愛するように隣人を愛することは旧約聖書の律法の中には、そのままのことばでは書かれてはいません。けれども、快適な共同生活をするためには互いに仲間を守り尊重すべきであることは、いろいろな規則の中に盛り込まれていました。

 誰でも自分を大切にします。大切にしなければいけないのです。決して自分を粗末に扱ってはいけません。あなたは神にとって大切な方だからです。イエス・キリストはあなたのために命さえ惜しまれませんでした。ですから「私なんか・・・」と卑下したり、投げやりになってはいけません。いい加減な態度で自分のいのちや自分の人生を扱っては、これほど愛して大切にしてくださった方に申し訳が立ちません。どうぞご自分を貴重品として扱ってください。これは、自分のことばかりを大切にして、人をないがしろにしてもよいという意味ではありません。自分を大切にできる人は同じように他人を大切にできる人です。

 誰にでも、ちょっと気の合わない人や苦手な人はいるものです。けれどもその人も神にとって大切な人だと知れば、少しづつ思いやりをもって接することができるようになるでしょう。これは私たちへの神からの宿題かもしれません。神には全ての人が同じように大切なのです。この神の思いに私たちの思いを近づけていきましょう。

 今日神に対するあなたの愛は、どんなものでしょう。神を敬い愛することが生活の中心となっているでしょうか。それならばあなたはご自分を大切にし、周りの人を同じように大切にできるのです。