親愛なる祈りの家族の皆さま
私は今、生かされていることを本当に喜んでいます。感謝もしています。私にはあれも出来た、これもやった、と胸を張って言えるようなことは何もありませんが、これまで生かされてきたことや数々の恵みは私が経験した困難や苦しみを遥かに超えて余りあるものです。このことに関しては感謝する以外にありません。
私は中皮腫という病気を抱えていることで、多くの皆さんに祈っていただいていることが、かえって恵みのように思えます。もし、私が元気で何の心配もないとしたら、皆さんの祈りをこんなにありがたく、うれしいとは感じなかったかもしれません。生かされていることの意味を今ほど真剣に考えることもなかったことでしょう。また、元気で何の苦労もなさそうな私のためにこれほど親身になって祈ってくれる人はいなかったかもしれません。今のところ私の症状も安定していて、抗がん剤(免疫療法)による副作用も比較的軽く、湿疹や口内炎くらいで、階段を上る時の息苦しさも、比較的軽いことも感謝です。皆さんの祈りが私に元気を与えてくれていることは間違いありません。ですからどうか引き続きお祈りください。私も皆さんのためにお祈りします。これからも祈りのリクエストをお送りください。
祈りのリクエストを送ってくださったら、その祈りの課題について、神と語り合ってください。主がどのようにその祈りのリクエストに答えてくださるかを考えながら、心の目で見はっていてください。そのことを通して、あなたはより一層神との関係を深めることが出来るのです。
病気で苦しんでおられますか。将来のことが心配ですか。そのためにお祈りします。私たちの魂の叫びを聞いて助けてくださるのは、万物の創造者であられ、私たちを今も生かしてくださっている全知全能の神です。何をくよくよすることがあるでしょうか。祈ってその方に全てを委ねましょう。ひとまず、全ての重荷を神におあずけして心を休めるのです。それが次の一歩を踏み出す力となります。イエスは言われました。
すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイの福音書11章28節)
先日、テレビで筋肉体操の指導をしている番組を見ました。「これぐらい私にだってできる」と思って途中までやってみましたが、もう若くはない私には、簡単ではありませんでした。
息を切らしがらも何とかついて行ったのですが、もうこれ以上できないからやめようと思った時、インストラクターが言いました。「はい、あと2回で休めますよ」。この一言で、自分でも驚くような力が出ました。あと2回やれば休めるのなら、と最後までやることが出来たのです。
あの時のインストラクターの一言が私を前に押し出してくれたのです。自分の限界は自分が決めてしまうものであることを教えられました。
あともう少しと分かれば、だめだと思っていた自分の限界を超えることが出来るのです。
苦労は必ずしも全てが悪いものではありません。あってもいいのです。もう一歩、全力で頑張れば、必ず休みが来るからです。私たちの日々の苦労の中でも、イエスは私たちに本当の休みを約束してくださっています。ですから、私たちは頑張れるのです。
明日への希望のテレビ番組でモデーミが歌っていたこの曲が私は好きです。
もう一つ谷を越え、もう一つ峠をこえ、最後の角を曲がれば、
重荷をおろして休める素敵な場所が待っている。
私たちは、罪の故に理想的な姿を失ってしまったこの世界で永遠に生き続けるわけではありません。私たちのためにイエスが用意してくださった完全な国が待っているからです。
ですから、今の時を有効に用いて力いっぱい生き抜きましょう。困難や祈りの課題を通して、神があなたに何を語りかけておられるのか、耳を傾けるようにしましょう。そうすれば、神との交わりの中で日々感謝と喜びを見つけることが出来る人になります。神があなたを見守っておられるからです。あなたの周りの人々も、あなたの生きざまを見ています。無理に気取る必要はありません。「弱さを見せてはいけない」と思う必要もありません。弱さがあっても、欠点があっても、完成の日をめざして一生懸命に生きていればいいのです。あなたのその姿に、人々は信仰の力を見るからです。
新型コロナウイルス終息の時も必ずやって来ます。もうすぐかもしれません。気を抜かず、がっかりしないで、もう少し頑張れば、心にかけていた人々ともゆっくり会うことが出来ます。天の御国で共に生きる日の予行演習のようですね。皆で楽しく過ごすことが出来る日が必ず来ます。主が私たちと共にいてくださって、私たちに自由を与えてくださるからです。もう一歩か二歩、ご一緒に頑張りましょう。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード祈りの家族
桜井 剛