祈りの家族への手紙:2022-03

2022年3月

 

 親愛なる祈りの家族の皆様
 最近私はイエス・キリストの再臨についてよく考えるようになりました。

 再臨は、信じる私たちを神の国に迎え入れるためにイエス・キリストが再び来てくださることです。これは聖書がはっきりと約束している私たちの輝かしい未来です。しかし、同時に、再臨は世の終わりとも呼ばれ、厳しい審判の時でもあります。「神はいない」と豪語し、イエス・キリストの救いをあざ笑う人々には、思いもよらなかった滅亡が訪れます。

 その時がすぐ近くまで来ています。なぜなら、今や地球全体とそこに住む私たち人間の異常な状態が、もはや人の手では取り戻すことのできないほどになっているからです。

 地球温暖化と自然破壊が急速に進んでいます。地球はそこに住む命をいつまで支え続けることが出来るでしょうか。限界が来るのは目に見えています。

 人間の悪も増し加わっています。強大な軍事力による侵略、核兵器の脅威、自らの欲望のために弱者を虐げる者たち、貧富の格差は広がり、ごく少数の人々が世界の富の大半を手にしていると言われています。神がいつまでもそれを黙認なさるでしょうか。コロナだけでなく、未知のウイルスの危険さえ、学者たちは警告しています。このような現実を見る時、終わりの時はすぐ近くまで来ていることを感じます。

 私たち一人一人も日々差し迫った困難や悩みを抱えて生きています。健康の問題、経済的な問題、人間関係の問題、その上、自分自身の弱さをつきつけられることもあります。

 このような危機的な状態の中から、神はどのようにして私たちを救い出してくださるのでしょうか。大丈夫です、心配することはありません。神は私たちの味方であり、私たちを愛してくださっています。ですから、私たちの弱さや失敗にもかかわらず、全てが神のご計画の通りに進んでいくのです。イエスは地上を去る前に私たちのために天の父にこう祈ってくださいました。「彼らを悪い者から守ってくださるようにお願いします。」(ヨハネ17章15節)

 また、こう約束してくださいました。「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。 わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。(ヨハネの福音書14章18節)

 あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。(ヨハネの福音書14章2、3節)

 私たちは人としての主イエスを見たこともなくその実際の声を聴いたこともありません。しかしその日には主イエスに直接お会いできるのです。それは、栄光に包まれた神の御子、しかし、まぎれもなく、私たちをご自分の命で贖ってくださった救い主イエスご自身であることを、私たちは知るでしょう。想像するだけで胸が熱くなります。

 私たちはイエスが迎えに来てくださるその日を待ち望んでいます。ただ何もしないで漠然と待っているのではありません。全て自分の信仰の力で乗り越えなければならないのでもありません。私たちが困難に立ち向かう時は、常に謙虚に神の助けを求めればいいのです。そこが大切です。全てをご存知の主に、ありのままの全てを差し出して、主の力と助けを真剣に求めて、今を生き抜いてください。それこそ主を待ち望む私たちの信仰の灯であり、主が私たちに求めておられる生き方です。目を覚まして、ランプをかざしつつ主を待ち望む賢い人になりたいと私は願っています。

 荒れ狂う波にのまれそうになった時、「主よお助け下さい」と叫んだペテロに、主はすぐ助けの手を差し伸べてくださいました。謙虚に自分の弱さを告白して主の助けを求めつつ生きる人を、主は深い憐れみをもって包んでくださいます。多くのことに心を煩わされることなく、聖書のみことばを心に蓄え、その光をかざしつつ、主にお会いする日に備えましょう。

 また、その日まで毎日、自分のおかれている場所で、与えられている時間と能力を用いて、主に仕えることが再臨を待ち望んでいる人にふさわしい行いです。

 もし「この人のために、このことのために祈ろう」という迫りを感じたら、どうぞあきらめずに祈り続けてください。「悲しみの中にあるあの人に手紙を書こう」、「一人暮らしのあの人に電話してはげまそう」、そう思ったらすぐに実行してください。主がおいでになった時に、そのように忠実に主のためにあかりをともし続けている人は幸いです。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード祈りの家族 
桜井 剛