親愛なる祈りの家族の皆様
今年のイースターは、4月17日です。聖書は私たちには復活と永遠のいのちがあることを約束しています。イースターはイエス・キリストの復活を記念するだけではありません。 私たちにも永遠のいのちが約束されていることを確認する時です。
イエスはこう約束なさいました。
「いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。」(ヨハネの福音書14章19節)
こうしてイエス・キリストはご自分の死と復活を通して、私たちに与えようとしておられる永遠のいのちが確かなものであることを保証してくださいました。
人は古くから長寿の妙薬を求め続けてきました。今も、テレビのコマーシャルで、健康と長寿を保つためのサプリメントが次から次へと紹介されます。それをすべて試していたらきりがありません。
古えの王たちや権力者たちは、永遠のいのちを得ようとして自分の権力と全財力を注ぎました。その空しい追求の跡は、今も王たちの墓の遺跡の中に残っています。
永遠のいのちは、権力や財力によって得られるものではありません。信じる者に神から与えられるものです。聖書はこう約束しています。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネの福音書3章16節)
私たちを創造し、この地上に生かしておられる神は、今ある肉体の命だけでなく、永遠に生きるいのちをも約束してくださっているのです。イエス・キリストは、その約束を完成するためにこの世に来られた神の子、救い主であり、神ご自身なのです。
あなたは今、ご自分の心がイエスとつながっていると感じておられますか。
もしそうならそれは素晴らしいことです。喜びに溢れて主を賛美してください。どんな困難な時にも、それがあなたの支えとなってくれるからです。
小さな子どもが、お母さんと公園を散歩しているのをよく見かけます。「見て、あの花きれい」とか「あの犬、可愛いね」などとお喋りしながら歩いている姿は、ほほえましく、こちらも心がなごみます。
けれども、大人になると、そのような素朴な会話はしなくなるようです。それにつれて、言わなければ伝わらない大切なことも、言葉にしなくなってしまうのです。
それが、しばしば、親子の気持ちが離れる原因になったり、考え方の違いによって人と人の対立にまで発展することがあります。分かり切っている、分かってくれているはず、という思い込みが、いつの間にか少しづつずれていくことに気が付かないからです。
人間はコミュニケーションの生き物です。お互いの気持ちを共有する時、私たちは幸せを感じ、強くもなれるし、優しくもなれるのです。いつもと同じ当たり前の生活の中でも、身近な人に「あなたは私にとって大切な人です」という気持ちを言葉だけでなく、態度や行ないでも表したいと思います。それが習慣になればよい人間関係を築くことが出来ます。
それは主イエスとの関係においてもとても重要です。「主に語りかけるのなら、何か立派なことを美しい言葉で言わなければいけない」、と思う必要はありません。ありのままで素直な気持ちを申し上げればいいのです。イエスはあなたの日常生活の中で一番身近なお方になってくださいます。イエスは今も生きて、あなたと共におられます。小さなことでも主イエスに遠慮なく話しましょう。この方は私たちの全てをご存知です。けれどもそれをイエスに言い表すことが、あなたや私にとっては大切なのです。その習慣があれば、困った時や、大きな困難に直面した時、いつでも助けを求めることが出来ます。そして、最終的には復活のイエスと共に永遠のいのちを生きる者としてくださいます。
日々の祈りと聖書を読むことはそのまま、イエスと会話をすることです。復活なさった主イエスと語り合いながら、エマオへの道を歩いた二人の弟子がいました。その時のことを彼らはこう言っています。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」(ルカの福音書24章32節)
私たちも復活のイエスと語り合い、心を燃やしながら今日の一日を歩いて行きましょう。
ハッピー イースター。あなたは愛されています。
レックス・ハンバード祈りの家族
桜井 剛