No.202211
ピンチは人生の輝きに変る
その2
きょうの主人公はオネシモです。彼はコロサイに住むピレモンという裕福なギリシャ人に仕える奴隷でした。戦争で捕虜になったり、借金のために身を売ったりして奴隷になる人が多くいた時代です。
オネシモの主人ピレモンはパウロの命がけの伝道によって福音を聞きクリスチャンになりました。彼の家はその町の信徒たちが集まる場所になっていました。当時は、教会堂というものはなく、個人の家がその役を担っていました。
奴隷であることはそれだけでオネシモにとってピンチでした。彼は自分の力で自由を勝ち取ろうとして、ある日、主人のもとから逃げ出しました。逃亡奴隷はそれだけで死に値する罪を負うのですが、そればかりか、彼は主人の財産を盗んで逃げたようです。旅費もかかるし、どこかで新しい生活をするにもお金が必要だからです。
しかし逃げても自由にはなりませんでした。むしろ、風の音にもびくつき、誰かの足音がすれば追手ではないかと恐ろしかったことでしょう。
自らの選択でオネシモは大ピンチに陥りました。大都会の人混みに紛れれば安全だと思ったのか、彼はローマを目指し何とかそこにたどり着きました。
トルコからイタリアまで身を隠しながら徒歩や船で行ったのですから大変な旅だったでしょう。しかし神はこのひとりの奴隷を心に留めておられました。いわばオネシモには同伴者がおられて、その行く道を導いておられたのです。
神はいつも私たちと共に人生を歩いてくださいます。私たちが気づかなくても、時には正しい道をはずれたとしても、神は私たちを見捨てることなく導いてくださいます。
神の前には自由人も奴隷も、男性も女性も区別なく、ひとり一人が大切な魂です。
どのようないきさつがあったのかは分かりませんが、オネシモはローマで使徒パウロに出会いました。コロサイ以来の再会だったのかも知れません。
主人の金を持ち逃げした彼が主人の友人に会いたいと思うわけがありません。一番あいたくない相手だったことでしょう。神の導きがなければ二人が会うことはありえないことでした。こうしてオネシモは、パウロから福音を聞き、イエスキリストを信じて生まれ変わりました。
この当時、パウロは福音のゆえにローマで投獄されていました。しかし友人の訪問を受けたり、手紙を書いたりすることは許されていました。オネシモはパウロの手足となって、真心から仕えました。パウロは彼を助手として手元に置きたかったのですが、その前にまず、オネシモをコロサイにいる主人、ピレモンのもとに送り返すことにしました。過去の罪を清算し主人と和解して再出発することがオネシモにとってもピレモンにとっても重要だと考えたからです。
これはオネシモには勇気のいることでしたが彼はもう逃げませんでした。
パウロは二通の手紙を書き、弟子のテキコとオネシモに託し、二人をコロサイに遣わしました。それがコロサイ人への手紙とピレモンへの手紙です。
コロサイの教会に宛ててパウロはこう書いています。
また彼(テキコ)は、あなたがたの仲間のひとりで、忠実な愛する兄弟オネシモといっしょに行きます。このふたりが、こちらの様子をみな知らせてくれるでしょう。(コロサイ人への手紙4:9)
ピレモンに宛てた個人的な手紙にはこう記されています。
彼(オネシモ)は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても役に立つ者となっています。
そのオネシモをあなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。
オネシモがしばらくの間あなたから離されたのは、おそらく、あなたが永久に彼を取り戻すためであったのでしょう。
もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、愛する兄弟としてです。
ですから、あなたが私を仲間の者だと思うなら、私を迎えるようにオネシモを迎えてください。
もし彼があなたに何か損害を与えたか、負債を負っているなら、その請求は私にしてください。(ピレモンへの手紙1:11、12、15-18)
オネシモが主人と和解し生涯を神にささげたことに疑いの余地はありません。こうして彼は本当の自由を得たのです。強いられてではなく、自分の意志で喜んで主イエスの奴隷となって人々に仕えました。
パウロがオネシモのためにしたことは、イエス・キリストが私たちにしてくださったことをまざまざと思い起こさせてくれます。イエスは私たちのためにとりなし、私たちの罪の負債を「私の負債にしてください、私がそれを支払います」と申し出てくださいました。
聖書は驚きの人生ドラマに満ちています。ピレモンへの手紙はとても短い手紙です。どうぞこの機会に、ゆっくりと読んで味わってください。