No.202303
ピンチは人生の輝きに変る
その4
今月の主人公はゼベダイの子、ヤコブとヨハネです。この兄弟は父ゼベダイと共にガリラヤ湖で漁師をしていましたが、イエスの招きに応じて舟も父も残してイエスに従いました。12弟子の中でも、ペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人は側近中の側近として他の弟子たちの経験できないことを直接見聞きしました。
会堂管理人の12歳の娘が死んだ時、イエスは少女の両親とこの三人だけを連れて部屋に入り、少女の手を取って生き返らせました。(ルカ8:51-55)
また、他の弟子たちを麓に残し、ペテロ、ヨハネ、ヤコブだけを連れて高い山に登られました。そこで3人は、イエスが地上に来られる前の栄光の姿を目撃しました。イエスの姿は白く輝き、モーセとエリヤと共に語り合っておられたのです。(マタイ17:1)。また、ゲッセマネの園で十字架を前に、苦悶のうちに祈られたイエスの姿を彼らは一番近くで見ました。
イエスはヤコブとヨハネを身近において訓練なさいました。彼らが立派な人物だったからではありません。彼らは未熟な若者たちでした。イエスはこの二人に雷の子という、ニックネームをお付けになりました。(マルコ3:1)。
突然の嵐に襲われることもあるガリラヤ湖の自然を相手に生きてきた兄弟は、気性が激しかったのでしょう。そのせいで兄弟がイエスに叱られるというピンチを迎えたエピソードがあります。サマリヤの人々がイエスを拒んだ時のことです。
弟子のヤコブとヨハネが、これを見て言った。「主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」しかし、イエスは振り向いて、彼らを戒められた。(ルカ9:54、55)
側近だと自負しているのに、目の前で叱られて面目が潰れたかもしれません。しかしこれは彼らの学ぶべき教訓でした。私たちは誰もが違う性格を持っています。あなたはあなたの個性のままでいいのです。必要なのはそれを主の手に委ねて、そこから良いものを生み出していただくことです。それぞれが違う賜物を持つことが神の国にとって大切なのです。激しい気性は情熱に、気弱さや臆病さは、慎重さと弱い人への思いやりに変り得るのです。ゼベダイの子たちの激しい気性はイエスと福音に対する情熱となって燃え上がりました。
二人はイエスの近くでその力あるわざと愛の行ないをしっかりと見つめて、みことばを聞きその贖いの死と復活の証人となりました。
イエスが天の父のみもとにお帰りになった後、聖霊が弟子たちの上に注がれると新しい時代が始まりました。
イエスを信じる人たちの群れ(教会)ができて、イエスによる救いの福音が宣べ伝えられていきました。同時に激しい迫害も始まりました。ヤコブとヨハネは初代教会のリーダーとして恐れることなく福音宣教の先頭に立ちました。
その中でヤコブに突然の死が訪れました。
ヘロデ王は教会の中のある人々を苦しめようとしてその手を伸ばしヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。(使徒12:1)
こうしてヤコブは12弟子の中で最初の殉教者となりました。紀元40年頃のことです。ヤコブはどんな思いで最期の瞬間を迎えたのでしょうか。これより数年前に殉教の死を遂げたステパノのことを思い出してください。
しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」人々は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した。そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。(使徒7:55-58)
同じようにヤコブが最後に見たのも、主イエスの栄光の姿だったに違いありません。神の臨在に包まれる時、死の恐怖は消え去ります。
さて、この時ヨハネがこの事実をどう受け止め、どう行動したのか聖書には何も書かれていません。二人はずっと一緒に生きてきたのです。ヨハネにとってヤコブの死がショックであったことは当然です。しかしヨハネがこれによってひるんだ様子はどこにも見られません。
その後もヨハネは迫害の中をひたすら主のために生きました。こうして長い年月が流れました。ヨハネは高齢となってからヨハネの福音書と、信徒たちに宛てた3つの手紙を書きました。これを読むとヨハネの主イエスに対する熱い愛が伝わってきます。ペテロもパウロも他の使徒たちもすでに天に召され、ヨハネが残された最後のひとりでした。しかしその頃には、エルサレムから始まった福音は使徒たちを始め、名も無い信徒たちの命がけの伝道でヨーロッパまで広がり、やがて世界を変えようとしていました。
晩年ヨハネの人生は大きなピンチに見舞われました。福音のためパトモスという島に流刑にされたのです。しかしこのピンチはまさに栄光の輝きに変りました。彼はこの島でイエスキリストによって壮大な幻を見せられました。神の審判、クリスチャンの最終的な勝利、キリストの再臨、未来の教会の栄光を次々と目の前に見て、それを黙示録に書き記しました。ヨハネの黙示録は主イエスに再びお会いする日まで、私たちの心を照らす希望となっています。