No.202304
聖書に見るシリヤとトルコ
トルコとシリヤの地震で被災した人々を皆さんは案じてくださっています。祈りの家族は心の優しい人々の集まりであることを再び知ることになりました。
トルコもシリヤも日本からは遠く、これまであまり関心のなかった方もおられるかもしれません。しかし実はこの地域は聖書の舞台になっており、聖書を愛する私たちにとっては深い関わりがあるのです。
シリヤは古い歴史のある地域です。シリヤの首都になっているダマスカス(ダマスコ)は紀元前2000年頃すでにアブラハムの時代には広く知られていました。アブラハムも、この町の名を口にしています。
時が流れて、この地はダビデとソロモンの王国の支配下に入りました。しかし王国が分裂し、衰退していくと、この地の民はイスラエル民族に敵対するようになりました。彼らはもともと偶像礼拝の民で、真の神を信じてはいなかったからです。では神は偶像礼拝の民を憎んでおられたでしょうか。いいえ、神は全ての人の創造者です。偶像と偶像礼拝の罪を憎んでおられますが、その罪に陥った人々を深くあわれみ、みこころにとめておられます。
旧約聖書にシリヤの将軍ナアマンの話が書かれています。当時この地にあった王国はアラムと呼ばれていました。
アラムの王の軍の長ナアマンは、その主君に重んじられ、尊敬されていた・・・この人は勇士であったが、らい病に冒されていた。(列王記下5章1節)
ナアマンの屋敷には戦いで略奪されてきたイスラエルの少女が奴隷として仕えていました。少女は預言者エリシャのことをナアマンの妻に告げて言いました。「もしご主人様がサマリヤにいる預言者の所に行かれたら、きっとあの方がご主人さまのらい病を治してくださるでしょう。」(列王記下5章3節)
そこでナアマンは家来を引き連れて預言者のもとを訪れました。
するとエリシャは、ヨルダン川で7度、身を洗うよう指示しました。ナアマンは怒りました。「ダマスコにはもっといい川があるのに、なぜヨルダン川か。」しかし家来にいさめられて、ヨルダン川に七回身を浸たすと彼のらい病はきれいに治りました。ナアマンはすぐにエリシャのもとに引き返して「私は今、イスラエルのほか、全世界のどこにも神はおられないことを知った」と告白して、まことの神を讃えました。(列王記下5章14,15節)
神は全ての国、全ての人が神の恵みにあずかることを願っておられます。
新約聖書でも、この地は私たちにとって忘れられやすい場所です。
エルサレムの信徒たちは激しい迫害のために各地へ散って行き、ダマスコにも多くの信徒がいました。生粋のパリサイ派ユダヤ教徒であった若者サウロは、クリスチャンたちを捕らえようと殺意に燃えて、ダマスコに向っていました。
ところが、サウロが道を進んでダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。彼は地に倒れて、自分に語りかけてくる声を聞いた。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」彼が「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」(使徒の働き9章3、4節)
こうしてサウロは主イエスを愛し、一生を捧げる使徒パウロとなったのです。
さらにシリヤのアンテオケはパウロとバルナバを伝道旅行に送り出し、二人の伝道基地としての役割を果たしました。
さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい」と言われた。そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。(使途の働き13章1-3節)
ではトルコはどうでしょう。ここにはパウロの故郷タルソがあります。まだトルコという国も地名もありません。当時、この地域全体がローマ帝国の支配下にあり、とても国際的でした。多くの人々が中東地域やヨーロッパとも自由に行き来し、経済活動が盛んでした。現在のEUに似ているかもしれません。
こうした時代背景も神のご計画の中にあったに違いありません。福音が広く伝えられていくのにまさに良い時期と場所だったのです。また、ギリシャ語という、現在の英語のように世界に通用する共通語がありました。新約聖書がギリシャ語で書かれたのはそのためです。
パウロは三回の伝道旅行によって、この地域の町々を巡って福音を宣べ伝えました。どの町へ行ってもユダヤ人たちは民衆を扇動して使徒たちに襲いかかりました。しかし、使徒たちとクリスチャンたちの情熱を阻むことはできませんでした。こうして、福音は全世界に広がり、やがて、「地の果て」とも言える日本にまで届いたのです。
ですから私たちはシリヤにもトルコにも負い目があると思います。無関心でいるわけにはいきません。被災者に少しでも励ましとなるように祈りの家族から義援金を送る準備をしています。皆さんの心温まるご協力に感謝しています。