祈りの家族への手紙:2023-06

2023年6月  

 親愛なる祈りの家族の皆様。
 今多くの皆さんが色々な面で不自由を感じておられます。「コロナが下火になった」とは言っても、感染者がなくなったわけではなく、油断はできません。厳しい寒さがやっと終ったのに、今度は突然の気温上昇に暑さ対策をしなければなりません。

 一方、政府をあげて私たちの活動を活発化させようとしていますが、国際情勢の不安定や物価高が、ますます多くの人たちの行動を制限させています。それに加え、ひとり一人が個人的に色々な困難や問題を持っていて、本当の意味では自由ではないと感じているのです。ではどんな時私たちは本当の自由を感じることが出来るのでしょう。

 聖書はこのように教えています。

 「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネの福音書8章31-32節)

 イエスのみことばとその教えが私たちの内にあるなら、私たちは何が真実で求めるべきものなのかを知ることができます。そうすれば、周りの状況がどうであっても、私たちは身も心も自由になるのです。

 ですから、心からイエスを救い主として信じているあなたは本当に自由なのです。

 私たちは神によって造られました。造り主である主は、私たちを良いもの素晴らしいものとして創造してくださいました。

 私たちは本来健やかで、感謝と喜びに満ちて幸いであり自由であるべきです。

 けれども、実際には私たちは周りの状況や自分自身の弱さや足りない点を一つ一つ数えては、自分の状況を不完全で短絡的な目で見て、まだ足りない、自由ではない、幸せではない、と感じてしまうのです。

 先日、車椅子テニスの世界チャンピオン、国枝慎吾氏のテレビ・インタビューを見ました。彼は自分にはないものを恨むのではなく、与えられている能力を徹底的に活用することに全力を注ぎました。自分に出来ないことはそのまま受け入れて、自分の弱点は言い訳をせずに、「2万回でも4万回でも練習を重ねてそれを克服する」と言っていました。

 車いすの高さや角度も一番良い状態になるまで何度でも徹底的に調整して、その能力を十分に活用できるように改善しました。

 もちろん、彼は肢体不自由者とは言っても、まだ若いスポーツマンであって、私たちに全く同じことが出来るというわけではありません。けれども与えられているものを用いて全力を尽くすことは、クリスチャンとして学ぶべきことだと思いました。私はそこまで自分の弱さをみとめて、与えられている力で自分の弱さに立ち向かうことをしていなかったように思いました。与えられている神の恵みを十分に活用して生きることが大切です。神に与えられた良いものも、弱点さえも活用して周りの人々を祝福し、神に感謝して生きることです。

 もし、私たちに必要なものや欲しいものが始めから何もかも十分に与えられていて、足りないものが何もなかったとしたら、私たちはいったい何をすればよいのでしょう。

 弱さがあるので、今自分に与えられているものを精いっぱい用いることも、助けを求めて神に祈ることもできます。同じように弱い人を慰め励ますことも出来るのです。

 イエス・キリストの福音を全世界に告げ知らせるという使命を帯びて、福音宣教の中心的な人物となった使徒パウロも、何か肉体的な弱さを持っていたようです。

 パウロは「この弱さを取り除いてください」と何度も祈りました。自分の弱さのために神に祈ることは悪いことではありません。けれども神は私たちの弱さにも、ご計画を持っておられるのです。祈りを通して、それを教えていただきましょう。あなたもきっと強くなります。

 パウロの場合、イエスはこのように言われました。「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。」(コリント第二の手紙12章9節)

 神がその弱さを与えておられるのなら、その弱さを克服して活用する力をも与えてくださいます。愛する皆さん、神の恵みは私たちひとり一人に十分に注がれているのです。

 与えられているものに感謝してそれを十分に活用しきった時、あなたが予期していなかったような神の力がそこから発揮されていくのです。私もそのためにお祈りしています。

 あなたは確かに愛されているからです。

レックス・ハンバード祈りの家族 

桜井 剛