祝福のメッセージ:2023-09

 

No.202309

私はすでに世に勝ちました。

イエスは言われました。『これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。』 (ヨハネ16章33節)

わたしはすでに世に勝ちました』とイエスは言われました。「世」とは何でしょう。それは社会とか、世間とか、世界そのものを指しているのはありません。その真ん中に巣くっている、神に逆らう心すなわち罪と、その結果私たちにもたらされているあらゆる問題や苦しみのことです。その中で最も恐ろしいのが死です。イエスはそのすべてに勝利したと宣言なさいました。イエスがこう言われたのは、十字架につけられる前日の夜でした。すでに道は整いました。あとはただ、ご自分の命を私たちの罪の代価としておささげになるばかりでした。

 イエスは神であられたにもかかわらず、私たちと同じ人間の姿となってこの地上に生まれて来られました。そして私たちと同じように人間の罪の結果である死を背負ってこの世を去ろうしておられました。しかしそれは特別な死です。

 罪のない神の子イエスが身代わりに死んで私たちに命をもたらすからです。

 死は終わりであり、死という現実の前では私たちは完全な敗北者のように思われます。私も死の残酷さをいやというほど体験しました。私は父の死にも母の死にも立ち会いました。話しかければ答え手を握れば握り返してくれた体がどんなに呼んでも揺り動かしても返事がなくだんだんと冷たくなっていくばかりです。死が大切な人たちの命を奪って勝利したのです。あなたもきっとそのような経験をなさったことでしょう。死は容赦なく、人のどんな素晴らしい活動も終わらせます。私たちは死に対してはどんな抵抗も出来ません。最後にはいつでも死が私たちに勝つのです。死は本当に全戦全勝のつわもののように思われます。けれどもイエスの死によって全ては変わりました。父も母もイエスキリストを信じていました。ですからやがてイエスを信じる全ての人と共に復活と永遠のいのちにあずかります。それが私の喜びです。

 子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。(ヘブル人への手紙2章14、15節)

 神ご自身であられるイエスでさえ、人となってこの世に来られたからには、人としての命を終える必要がありました。ですから、その時までは「死がイエスに勝っていた」と言えるかもしれませんが、それで終わりではありませんでした。

 イエスの墓に言った女たちに御使いはこう告げました。

 あなたがたが、十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。 (マタイの福音書28章5、6節)

 死に至るまで神に従われたイエスを神は復活させてくださいました。イエスは死に勝利されたのです。死に勝利するとは、「死の力はもはやイエスを支配することが出来ない」、ということです。

 アダムとエバが神の戒めを破ったことから始まり、人は神に従って生きることをやめて、自分を中心にして生きるようになりました。その性質を受け継いでいる私たちは、どうあがいてもこのままでは神に敵対する存在です。人間は傲慢にも、最後には神を超え、神の上に立とうとさえするのです。人の命の長さが限られていることはむしろ幸いでさえあります。罪の中でいつまでも生き続けてはどんなに恐ろしい結末になることでしょう。

 イエスは神の子として、神のご意志に完全に従いつつ、十字架の死を受け入れて命を投げだし、完全に神のご計画に従われました。

 死は誰の上にも必ずやって来て、その命の活動を終らせます。イエスは十字架の上で息を引き取られ、兵士が槍で刺しても生きておられるしるしも反応もありませんでした。そして墓に葬られたのです。けれども復活によって死は打ち破られました。万物を創造なさって、それらに命をお与えになった神が、そこに関与しておられたからです。

 この地上でも、宇宙の隅々においても、神がお定めになったルールに従って動かないものは何一つありません。生も死もその他の自然界の全ての現象はそれを創造なさった神の支配のもとにあります。私たちが死ぬことも、死んだ後さばきを受けることも、神のみこころに従って行われるのです。心配することはありません。私たちの神は愛と義のお方です。だれも不当な扱いを受けたり、間違ったさばきを受けたりすることはありません。私たちはこのお方に愛と信頼をもって従えばいいのです。そして、その報酬は永遠のいのちです。

 主イエスが死に勝利なさったので私たちも勝利できます。死という最強の敵にさえ勝てるのですから、小さな敵にはもちろん勝てます。私たちの人生にはどんな「世」すなわち「神の御心に反するもの」があるでしょうか。この際、他人のことはとやかく言わず自分自身と向き合ってみましょう。誰かを恨んでいますか。妬んでいますか。すぐにかっとなって怒ったり、つまらぬ虚栄心に振り回されたり、やめられない悪い習慣にとらわれたり、・・・・挙げればきりがありませんね。こうした日常的な罪にも勝利できないはずはありません。イエスはその力を与えてくださいます。

世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。(ヨハネの第一の手紙5章5節)