No.202310
栄光の冠はあなたの手に、私の手に
人の子は、やがて父の栄光を帯びて御使いたちとともに来ます。そしてそのときには、それぞれその行いに応じて報います。 (マタイの福音書16章27節)
これはイエス・キリストが再臨なさる時の私たちへの約束のことばです。
私たちにとっては、この「報い」とは刑罰ではなくご褒美のことです。イエスを信じた人々にはもはや刑罰はありません。この報いを目指して主に喜んでいただけるような日々を生きてまいりましょう。
秋は運動会の季節です。各地で元気な子どもたちの歓声が聞こえてきます。
子どもたちは、この時とばかりに、自分たちの腕前を見てもらおうと、力いっぱい走ったり、跳んだりして、これまでの努力の成果を披露するのです。平和に競い合うことは互いを尊重することを学び友情を深める良い機会です。それに、子どもにとってなにより嬉しいのは、親に自分の頑張っている姿を見てもらえることでしょう。私にもそんな思い出があります。父や母の姿を応援席の中にいつも探していたものです。その応援の声が聞こえた時はいつもより力が出ました。
親にとっても、子どもの成長を確かめるうれしい時です。いつも親に頼って甘えていた子どもが、こんなにたくましくなったのです。それは子どもにとっても親にとっても素晴らしい時となります。
競技を終えた時子どもたちが感じる喜びは、賞品のノートや鉛筆をもらえたことではありません。大好きなお父さんお母さんの前で力いっぱいやったという満足感です。それこそ彼らの心にいつまでも残る最高のご褒美でしょう。
私たちも、日々の生活をいつも見守ってくださっている主の御前で力を尽くし、主に喜ばれる生き方をして、人生を走り抜きたいと思います。たとえそれが不完全であったとしても、精いっぱい頑張ることで自分自身にも、それを助け見守ってくださる神ご自身にも大きな喜びとなることでしょう。
パウロは立派な家柄の出身で優秀な律法学者であり、多くの人々に称賛されていましたが、クリスチャンたちへの迫害の先頭を切っていた人物でした。
しかし、復活のイエス・キリストに出会い、神の救いの計画を知った時から、彼の人生は全く変わりました。そして、福音を伝えるために何度も困難な旅をして、中東からヨーロッパにかけて世界を巡り、イエス・キリストを伝えることにその後の人生をささげました。
彼の伝道旅行は、何度も遭難したり、強盗に出会ったり、投獄されたりして、日々苦しいことの連続でした。しかし、その全てが彼の生きがいとなり喜びとなりました。最後にはローマで処刑されて人生を閉じました。人目には苦難の生涯でしたが、彼自身にとっては、イエス・キリストのゆえに実り多い喜びの人生だったことでしょう。福音のために戦い、走り抜いた彼は目の前に栄光の冠が待っていることを知っていました。
私たちが日々走り続けている人生はどうでしょうか。パウロほどではなくても困難もたくさんあることでしょう。迫害もあるかも知れません。時には一番信頼していた人からの迫害さえ感じることもあるでしょう。痛みや疲れを感じることも、弱さを感じて打ちひしがれることもあることでしょう。けれども大丈夫です。パウロもそう感じることがしばしばあったことを告白しています。しかし、その全てが神の力を体験するチャンスとなりました。
ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
(コリント人への第二の手紙12章10節)
ですから勇気を出してください。私たちが目標にしているイエスが、私たちと共に歩み、走り、力を与えてくださいます。私たちと共に走ってくれる信仰の先輩たちや、励ましてくれるクリスチャンの友もいます。私もあなたをいつも応援しています。あなたは決して一人ではないのです。
私たちは目に見える賞のために戦っているのではありません。私たちの人生の戦いを見て、神が喜んでくださることを私たちの最高の喜びとしましょう。
ピリピの信者たちにパウロはこう書き送っています。
キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。(ピリピ人への手紙3章14節)
あなたの目標はどこにありますか。地上の誉れですか。豊かで健やかな人生ですか。もちろん今はそれも大切です。神はそのような賞も与えてくださいます。多くの信仰の友と祈り合い、イエス・キリストと共に人生を生き抜いたなら、私たちの心は大きな喜びに満たされます。それは神だけがあなたに与えてくださる大きな賞なのです。けれども、さらに大きな賞が待っていることを忘れないでください。
今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。
(テモテへの第二の手紙4章8節)