祝福のメッセージ:2024-03

 

No.202403

ふたりのマリヤ

 今月は受難のイエスと復活のイエスに寄り添った二人のマリヤから学びます。一人目はベタニヤのマリヤです。

 ベタニヤはエルサレムにごく近い村です。ここには主イエスが愛しておられたラザロ、マルタ、マリヤの3人きょうだいが住んでいました。

 イエスはエルサレムに行く時はよくベタニヤにお寄りになりました。ここはイエスにとって一番心の休まる場所だったのでしょう。イエスが十字架で贖いの死をとげるためにエルサレムに行かれた時も、ベタニヤでこの3人と共にしばしの穏やかな時間をお過ごしになりました。

 イエスは過越の祭りの六日前にベタニヤに来られた。

 マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。ところが、弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしているイスカリオテ・ユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」

 イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。

 (ヨハネの福音書12章1、3-5、7節)

 ナルドの香油は大変高価なものです。彼女はその香油を惜しげもなくイエスに注ぎました。マルコの福音書には石膏の壺を割って注いだとありますので、全てをイエスに献げ尽したのです。香油の香りが部屋いっぱいに広がりました。これはマリヤの愛と献身の香りでした。イエスの心がどれほど慰められたか、想像できますか。

 エルサレムでは当時の宗教的指導者たちがイエスに対する激しい嫉妬と憎悪にかられ、イエスを殺そうと待ち構えていました。

 弟子の一人ユダは、イエスを裏切ろうとさえしていました。他の弟子たちも、イエスがはっきりと予告なさった十字架の贖いをまだ理解できないでいました。そんな中でマリヤだけはイエスの身に起ころうとしていることを敏感に感じ取り、その意味を理解していたようです。

 彼女はイエスの足元に座り、じっと、みことばに聞き入る人だったからです。(ルカ10章39節)

 弟子たち、特にユダは「何と無駄なことをするのだ」とマリヤを非難しました。しかし、イエスはマリヤの純粋な愛をしっかりと受け取って、こう言われました。「なぜ、この人を困らせるのですか。私のために葬りの備えをしてくれたのです。」死者に香油をぬって葬るのは当時の習慣でした。

 イエスは今あなたの中に私の中にマリヤのような純粋な愛を見いだすことが出来るでしょうか。

 さて、二人目はマグダラのマリヤです。

 マグダラはガリラヤ湖畔にある町でマリヤの故郷です。この女性については、イエスに「7つの悪霊を追い出していただいた」とルカは記しています。(ルカ8章2節) 7つの悪霊に取りつかれていたと表現されるほど身も心もボロボロで廃人同様でした。イエスはそんなマリヤの罪を清め、癒し、全く新しい人に造り変えてくださいました。

 この時からマリヤは他の弟子たちとともにイエスの伝道旅行について行き、イエスを支える人となりました。イエスが十字架に掛けられた時には、その苦悩の全てを見ていました。イエスが息を引き取られるのを見、墓に葬られる様子を見届けた後、その場を去りました。すでに夕暮れとなり安息日が始まろうとしていたからです。こうして、暗黒の一夜が過ぎました。

 週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。・・・マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。(ヨハネ20章1節、11節)

 マリヤは誰よりも早くイエスの墓にやって来ました。墓の入口をふさいでいた石が取り除かれ、イエスの御体がないのを見て、マリヤは取り乱しました。誰かが主のみ体を奪い去ったと思ったのです。

 今も死は厳しい現実です。そこから逃げることはできません。だからしっかりと向き合うことが大切です。マリヤのように泣いてもいいのです。しかし、いつまでも泣いている必要はありません。死の前になすすべもなく涙するマリヤにイエスが近づいてきて声をおかけになりました。

 イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか」 ・・・ イエスは彼女に言われた。「マリヤ」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)」とイエスに言った。(ヨハネ20章 15節、16節)

死を見つめてたたずんでいたマリヤは振り返ってイエスを見ました。

 マリヤは復活のイエスに最初にお会いして、その喜びの知らせを弟子たちに伝えました。マリヤの伝えたメッセージは今も私たちの希望です。

 今年のイースターは3月31日です。