2024年6月
親愛なる祈りの家族の皆さま。
初夏の日差しを浴びて植物がぐんぐん育っているのを見ると、 命の素晴らしさと大切さを改めて感じます。小さな命も慈しんで、大切に育ててくださっている神の愛を讃え、感謝します。私たちにとって神のことばは日光であり水であり栄養分なのです。それがあれば私たちの霊的ないのちは植物に負けずに元気に成長することが出来ます。
遅ればせながら、何とか皆さんへのお便りを書くことが出来ることをうれしく思っています。私の手紙の目的は神のことばを皆さんの日々の暮らしの中にお届けして、みことばの力を身近に体験していただくことです。私の力では出来ないことですが、聖霊が働いてくださることを信じています。
もしあなたが今、意気消沈したり何か心が晴れないとしたら、聖書のみことばによって元気を取り戻してください。聖書のみことばにはその力があるからです。
私たちが今も命を与えられて生かされている事は大きな恵みです。決して当たり前のことではなく特別なことです。神が目的を持ってあなたや私をこの地上に生かし、支えて下さっているのです。あなたの上にもこの恵みが豊かに注がれ溢れますように、更に私たちを通して周りの人々に及びますようにと願っています。
どんな時にも、この命を喜び感謝し、命の与え主である神に喜んでいただけるような生き方をしようではありませんか。
私の父はお寺の住職の家庭に生まれ育ちました。母も熱心な仏教徒の農家に生まれました。けれども私は小さい頃から宗教的習慣や束縛が嫌いで、むしろ物理学に強い興味を持つようになって、科学者になりたいと思っていました。
中学生、高校生の頃は理屈ばかりをこねる生意気な少年でした。しかしある時、 理屈だけでは説明できないものがあることに気づかされました。
風邪をひいて病院の待合室にいた時のことです。そこにあった少年雑誌の中の 「なぞなぞ問答」の記事が目にとまりました。
問題:大阪城を建てたのは誰? その答えは誰でも知っています。豊臣秀吉です。けれどもそれがクイズの答えではありませんでした。答えは 「大工、石工、左官、瓦職人などの職人たち」だと言うのです。確かに大阪城建設のための実際の労働に秀吉が加わることはなかったことでしょう。けれども、どんな優秀な職人たちが集まっても、それで大阪城が出来るわけではありません。それを願い、計画して、そのための権限と資金を投じる人がいなければ何も始まらないのです。
科学は私たちの住む宇宙がどのような物質でできていて、どのように始まりどうなっていくのかを説明してくれますが、誰が何のためにそれを存在させているのかは教えてくれません。それは科学者の仕事ではないからです。
しかし聖書は単純明快にこう宣言しています。
はじめに神は天と地とを創造された。 (創世記1章1節)
天は神の栄光を語り告げ大空は御手のわざを告げ知らせる。 (詩篇19篇1節)
秀吉の権力と財力が大阪城を築いたと言うなら、神の権威と力はもっと大きく、全宇宙を造り上げたのです。神のなさることはけた違いに大きく、ただ感嘆するばかりです。私は今でも科学に興味があります。しかしそれ以上に、全てを創造して支配しておられる方に大きな関心と信頼を寄せています。ですから、恐れることなくその力ある御手に全てをゆだねつつ、御心に沿った生き方をしたいと願っています。
病院の待合室にあった本には、もう一つの話が書いてありました。
二人の男の子が街に買い物に行きました。ところが、道に迷って帰り道が分からなくなってしまいました。一人は心配の余りおろおろしてとうとう泣きだしてしまいました。 もう一人は、なるべく良く目立つ道の角に座り込んで、通りかかる人を見ていました。帰りが遅くなれば、お母さんが必らず探しに来てくれると信じていたのです。神はもっともっとあなたのことを気にかけてくださっています。
私たちも人生でしばしば行くべき道を見失います。うっかり谷底に落ちることもあるでしょう。情けない失敗をしてそのために苦しむこともあります。しかしそんな時も神は私たちをお見捨てにはなりません。迷った私たちを探し出そうと主イエスはこの地上まで来てくださいました。
何年か後になって、私の父も母もイエスを信じてクリスチャンになりました。 人の子は、 失われた者を捜して救うために来たのです。 (ルカの福音書19章10節) 更にイエスはたとえ話を用いて、失われたものを見つけるまで探し続けるご自身の思いを語っておられます。
あなたがたのうちのだれかが羊を百匹持っていて、そのうちの一匹をなくしたら、 その人は九十九匹を野に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。 (ルカの福音書15章4節)
銀貨を十枚持っている女の人が、その一枚をなくしたら、 明かりをつけ、家を掃いて、見つけるまで注意深く捜さないでしょうか。 (ルカの福音書15章8、9節)
持ち主であられる神にとって、私もあなたもあきらめることのできない大切な存在なのです。羊一匹ぐらいいいではないか、銀貨一枚ぐらい、まあ仕方がないとは主はおっしゃいません。小さな私一人でも、放ってはおけないと主は思っておられるのです。神がそれほど私たちひとり一人を大切に思ってくださるのですから、何か辛いことがあっても、失敗しても失望することはありません。
あなたは今、神に感謝したいこと、報告したいことがおありですか。悩みや心配事をお持ちですか。もちろん神は何も言わなくても全てをご存知ですが、それでも私たちの声を聴きたいと願っておられます。神は愛する者との交わりを求めておられるからです。
毎日の祈りの中で、イエスの御名によって喜びも悲しみもどんな事でも神の前に差し出してください。そして、神からの語りかけを待ち望んでください。そうすればもう、何があっても心配はありません。
あなたは愛されているからです。
私もあなたのためにお祈りしています。
レックス・ハンバード祈りの家族
桜井剛