祈りの家族への手紙:2025-04

2025年4月 

 親愛なる祈りの家族の皆さま。
 春先は寒暖の差が大きく、天候が定まりません。お元気でしょうか。くれぐれもお体に気を付けてお過ごしください。

 それでも桜だよりが各地から届き、緑がよみがえり始め、命の力強さを感じる季節です。そして間もなく主イエスの復活の日、イースターを迎えます。今年のイースターは4月20日です。

 春の花の多くは厳しい寒さの中を通らないと美しい花を咲かせないそうですが人間にも同じことが言えると思います。私たちの主も死の闇を通り抜けて見事に復活し、私たちにも復活の希望を与えてくださいました。

 しかし、残念なことにこの地上は命の季節になっても苦悩に満ちています。地震、洪水、森林火災など次から次へと襲いかかり、戦火は絶えることなく、多くの人々が政治的貧困と経済的貧困に苦しんでいます。問題があまりにも大きいので私たちにいったい何が出来るのかと呆然と立ち尽くすばかりです。

 それでも私たちは失望しません。復活なさった主イエスが今も生きて、私たちと共におられるからです。

 確かに私たち一市民には、世界を変えるような権力も財力もありませんが、それでも私たちに出来ることはいろいろあります。困難のどん底にいる人々にとって、「自分たちは忘れられていない」と感じることは大きな励ましとなるはずです。

 災害や戦争に脅かされている人たちだけではありません。あなたや私のすぐそばにも孤独な人、助けを求めることすらできずに、じっと耐えている人がいるのではないでしょうか。私たちの思いやりの一言や小さな手助けがそんな人たちの力になります。苦しんでいる人々に心を寄せ、祈り、手を差し伸べることを神は喜んでくださいます。それによって私たちも、自分の存在が自分だけのものでなく、他の人にも役に立つものであることを実感できるのです。それは人生の充実感につながります。私も誰かの役に立てるように、神が助けを与えてくださるよう祈っています。生かされている限り誰かを喜ばせる人になりたいと思っています。

 だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(マタイ16章14節)

 こう言われた主イエスに従って、たとえ苦しい道でも一緒に行きたいのです。しかし、どんなに張り切ってみたところで私自身は弱く、失敗もたくさんしてきました。齢をとり、肉体的にも弱くなり、はなはだ頼りない存在かも知れません。
 主イエスはそんな私にも主と共に働くという名誉を与えてくださいました。共に働くとは言っても大部分はイエスが行なっておられるのですから、私が誇れるものは何もありません。いやむしろパウロが言っているように自分の弱さを誇ります。

 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしのカは、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(コリント第二 12章9、10節)

 ですから「弱いから何もできない」と言うことはできません。わたしたちが弱いからこそ、キリストの力が私たちに働くのです。この世の「強い人」をうらやましがることはありません。私たちはキリストにあって誰よりも強いことを心に刻んでおきたいと思います。

 さてここで、私たちの立場を再確認しましょう。

 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。(ローマ6章8節)

 もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。(4節、8節)

 わたしたちはキリストと一体なので、キリストと共に罪に対して死に、新しい命によみがえりました。キリストと共にこの人生を生き抜き、それぞれの置かれた立場で役目を果たし、永遠のいのちを受け継ぐのです。

「わたしが生きるのであなたがたも生きるのです。(ヨハネ14章19節)と主イエスははっきりと約束なさいました。

ですから、この喜びを胸に素晴らしいイースターをお迎えください。
 
あなたは愛されているのです。

レックス・ハンバード祈りの家族 

桜井剛