祈りの家族への手紙:2025-10

2025年10月 

 親愛なる祈りの家族の皆さま。

 やっと秋らしい季節が巡ってまいりました。お元気にお過ごしでしょうか。祈りの家族の皆さんが、夏の疲れから解放されて、日々恵まれた時をお過ごしになられますよう、お祈りしています。

 神はご自分がお造りになった全てのものに、素晴らしい役割を与えてくださいました。あなたも私も、その中の大切な一員であって、与えられた日々を希望に溢れて生きることが出来るのです。私たちは、そのように造られ、生かされているのですから、どんな状況の中でも、意味なく苦しめられることは決してありません。今のこの時も、いつでも、神の愛の眼差しが、あなたの上に注がれているからです。そのことは旧約聖書の最初のページからもはっきりと感じ取ることが出来ます。

 万物の創造主であられる神が私たち人間を最初に創造なさった時、造られた全てのものをご覧になって、大変満足なさいました。全てが良いものだったからです。 
 神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。(旧約聖書創世記1章31節)

 神はご自分がお造りになった人間をご覧になって、大変良い、と満足なさったのです。それを思うと、多少の困難や心配事があっても乗り越えることが出来ます。 
 与えられた命の時間を、私たちがどのように用いて、喜びと感謝に溢れて過ごすかを、神は、愛と期待の眼でご覧になっています。
 私は時々、そのような神の愛の視線を感じることがあります。「取るにたりない私にどうしてこんなに良くしてくださるのだろう」と思うと、胸が熱くなります。

 もちろん、困難も心配な事もあります。けれども、私たちの味方になってくださる愛の神が、共にいて下さることを思うと、ふっと肩の荷が軽くなって、また頑張ろうという気持ちになります。

 神は、あなたの毎日の生活も同じように愛を持って、見守っておられます。神があなたの苦しみを見て、素知らぬ顔をなさることはありません。弱さや困難を感じた時には、それを思い出して、主イエスの御名を呼びましょう。きっと、心に平安がやってきます。

 あなたを創造なさり、今も生かしてくださっている神にとって、あなたは大切な存在だからです。

 あなたは今、喜んでおられますか。それなら先ず神に感謝しましょう。私たちはしばしば、喜んでいる時や安心している時には、それを与えて下さっているお方を忘れがちです。

 今、困難や心配事や苦しいことがありますか。それは神に近づくチャンスです。神があなたを近くに招いておられるのです。

 ダビデはこう歌っています。

 私は身を横たえて眠りまた目を覚ます。主が私を支えてくださるから。(詩篇3篇5節)

 何という安らかな眠り、何という平安でしょう。穏やかな日々を何の心配もなく過ごしていたからでしょうか。決してそうではありません。実はこの時、ダビデは息子に背かれ、命をねらわれて、山野をさまよっていたのです。人生で最も苦しい時でした。しかし彼は、神がすぐ近くにいて下さることを知っていました。苦難の中でこそ体験できた、人知を超えた神の平安でした。

 ダビデの神は私たちの神です。あれこれ思い悩んで、眠れない夜を過ごさなくていいのです。

 私たちをお造りになった神は、愛に満ちた方です。どんな時にも、心を静めて神のもとに行きさえすれば、神ご自身があなたを支えて下さり、本当の平安と喜びを与えてくださいます。

 忘れないでください。神はご自分がお造りになったあなたのことを大切に思い、決してお忘れにはなりません。いつでもあなたを見守っておられます。今日も聖書を開いて、神の愛の視線を感じてください。きっとあなたの心配事は消えて、希望が湧いてきます。

 今あなたの心にかかっていることがありましたら、そのために祈りましょう。お知らせくだされば、私もご一緒に、あなたのためにお祈りしますので、祈りのリクエストをお送りください。主イエスがこう約束してくださったからです。

 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。(マタイ18章20節)

 偶像礼拝者たちのように、自分の願い通り、思い通りになるよう祈るのではなくまずそのことを通して、神がどんな良いことをあなたの上に用意しておられるのかを感じましょう。神が試練をお与えになるとすれば、それは、あなたを祝福に導くためです。大丈夫です。

 あなたは愛されているからです。

レックス・ハンバード祈りの家族 

桜井剛