親愛なる祈りの家族の皆様。
東京から中央高速道路で河口湖まで下り、そこから富士山のふもとを通って東名高速道の御殿場に続く道があります。そこを通れば、さぞかし富士山の眺めが美しいだろうと期待していました。
けれども、あいにくその周辺は霧に覆われて、周りの景色はかすんでいました。確かこのあたりが富士山のふもと近くのはずと思っていましたが、森や山がかすんで見えただけでどこにも富士山の姿はありませんでした。ところが、登りの急カーブを曲がり終えて、何気なく空を見上げたとき、何と、頭上高くに大きな頭を出している富士山がはっきりと見えているではありませんか。近くに来た時からすでにそこに姿を現わしていたのに、遠くの方ばかりを探していたために真上に顔を出している富士山に気が付かなかったのです。
私たちはしばしば困難や思い煩いの中に閉じ込められてしまうと、大切なことを忘れて絶望的な気持ちになってしまいます。どんなに一生懸命に解決策を探しても見つかりません。出口は全て閉ざされてしまっているように思われます。しかし、そういうときにこそ上を見上げるべきです。神は初めからあなたの一部始終をご覧になっています。
恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。(イザヤ41章10節)
イエスも私たちに恐れるなと言われました。
わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。(ヨハネ14章27節)
どのような困難も永遠には続きません。困難を恐れる必要はありません。困難の背後には平安の時が待っています。困難を経験することは決して無駄にはなりません。神は困難の中におられるあなたを知っておられるからです。
ですから、問題だけを見て、それを必要以上に恐れ、逃れられない怪物のように大きくしてはいけません。困難の中にも必ず平安があります。心を静めて神を見上げるなら、道が見えてきます。今見えなくても、道はすでに備わっていて、やがてあなたにも見えてくることでしょう。
比較的楽観的な性格の私はあまり悩んだり迷ったりすることはありませんでしたが、いくつかの困難や試練は経験しました。アメリカ留学中、妻や子供を呼び寄せたくても、サポートもなく、経済的な基盤も、仕事さえもありませんでした。家族の滞在資格を取るための書類に大学のサインを頼みましたが、経済的な保証がないからと断られてしまいまいました。全ての道が閉ざされたと感じて、日曜日にいつも通っていた大学の近くの教会で、祈りながら教会の天井を見つめていました。天井は大きなアーチで支えられており、それが外にある教会の事務所に続いていました。その教会には私と親しい人は誰もいないと思っていましたが、思い切って入って行き事情を話すと、牧師も事務長も私が日本から来た留学生だということを知っており、助けが必要だということも知っていたようでした。私の話を聞いた事務長が言いました。「いつ相談に来るかと待っていましたよ。」
教会ではすでに、仕事と住む所と学校に通うための車まで用意してくれていたのです。家族の滞在資格に必要な手続きもすぐに手配してくれました。私はそんなことを何も知らずに一人で悩んでいたのでした。
困難を経験したときこそ大切なことを学ぶ時です。もし、すべてが順調に進み、何の問題も起こらなかったら、成長もなく、人の思いやりを感じることもなく、大きな喜びや満足感を味わうこともなかったことでしょう。もっと重大なことは、困難を経験しなかったら、神の愛と憐れみを身にしみて感じる機会さえ失っていたかもしれません。
身に迫った困難の中から「主よ、助けてください。」と真剣に祈るとき、すぐ近くで助けの手を伸べて待っておられる神の愛を身をもって体験するのです。
ペテロは風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください。」と言った。イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」 (マタイ14章30、31節)
信仰が強くなければ神の助けを受けられないというわけではありません。私は祈りの家族の皆さんが祈りのリクエストを送ってくださることをとても大切なことと思っています。たとえ一人ひとりの信仰は弱くても、互いに支え合い祈り合うとき、弱い信仰にも力が与えられ、神が助けの手を伸べてくださっていることを知ることができるからです。
私は宇宙飛行士が宇宙から地球を眺めた時の経験談を語っているのをしばしば聞きました。どの宇宙飛行士も「人生観が変わった」と言います。遥か遠く離れた宇宙から、とは言ってもせいぜい400キロメートル、東京―大阪間の距離と同じ高さからですが、そこから地球を眺めた時、彼らの人生感が変わったと言うのです。宇宙は広く無限に広がっています。私たちの人生は束の間です。その束の間の人生の中で、私たちは悩んだり苦しんだりしているのです。それでも、神は私たちを大切に思ってくださり、私たちの悩みを知って心にとめてくださっているのです。
神の偉大さを知り、自分の小ささを知ることは、小さい私たちの短い人生を限りなく豊かなものにしてくれます。私たちのすべてを知っておられる神に感謝しましょう。どんな問題があり困難があったとしても、私たちは苦しむために生まれてきたのではありません。神は私たちを尊いものとして造り、宝物のように扱ってくださっているのです。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ書43章4節)
あなたも私もあの人もこの人も皆、神の宝物です。神は一人ひとりの人生に最も良いものを用意してくださっているのです。さらに、その後の永遠のときには、もっと素晴らしいものを用意してくださっているのです。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード祈りの家族
桜井 剛