祈りの家族への手紙:2006-04


 親愛なる祈りの家族の皆様。

 今年の冬はまれにみる厳しい冬でした。大雪に見舞われた地方では大変ご苦労されたことでしょう。一日も早く春が来るのを待ち望んでおられたに違いありません。春が来れば大雪の心配や厳しい寒さから開放されるからです。春の訪れを待ち望んだからこそ厳しい冬を耐えることが出来たのです。

 雪国の春はことさら美しく、自然の恵みも豊かだと聞いています。春を迎えるすばらしさのゆえに、また、その喜びの大きさゆえに、寒い地方にも人々は住み続けるのだと思いました。

 春の訪れとともにさまざまな花がいたるところで次々咲いて、キリストの復活を象徴するかのように命の輝きを見せてくれています。

 今年のイースター(復活祭)は4月16日でした。復活の喜びはキリストの降誕の喜びに匹敵する大きなものです。クリスマスとイースターはどちらもクリスチャンの記念すべき大切な日です。救い主がこの世に生まれるためには、神としての天の位を捨て、へりくだって「人間として生まれる」という大きな犠牲が払われました。それと同じように、キリストが復活するためには、「人類の全ての罪を引き受けて十字架で死ぬ」という大きな苦難を通らなければなりませんでした。

 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。(ピリピ2章6-11節)

 キリストが経験された極度の苦難と忍耐の中に、神がどんなに私たちを愛してくださったかを見ることができます。神は永遠から永遠まで存在し、全ての力と権威を持っておられます。それに比べると、私たちはあまりにも小さい存在です。私たちには神の偉大さをはかり知ることは出来ません。神はそのような私たちの全てを初めから終わりまで知っておられ、私たちの行なった全てのこと、私たちの心に浮かぶ全ての考えを知っておられるのです。この全知全能の神が、私たちの罪を取り除くために私たちに何かを要求するのではなく、ご自分が犠牲を払う道をお選びになりました。全ての人は罪を犯して神から離れてしまいましたが、それでも、神は私たちを愛し、憐れみ、みもとに引き戻そうとされたのです。神はそれほどまで私たちを愛してくださったのです。

 無条件で、報酬を求めない神の愛(アガペーの愛)は、私たちの想像を遥かに超えています。

 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。(ヨハネ第一4章10節)

 多くの人々はその恵みに慣れて、与えられた永遠のいのちの重さを軽く考えてはいないでしょうか。

 初代教会のクリスチャンたちは大きな迫害の中で信仰を持ち、命をかけてイエス・キリストを信じていました。彼らは絶えず殉教の死にさらされていたのです。けれども、「キリストを信じている」という理由で殺されることは、自分の信仰が本物であることを証明する絶好の機会と考えていたのです。ですから、信仰が試された時には、命をかけて救ってくださったキリストのために、喜んで殉教の死を選びました。日本でもキリシタン迫害の時代がありました。踏み絵によって信仰が試され、多くの人々が殉教しました。

 「そんなことになったら、私はどうしよう・・」と今から心配する方もおられるかも知れませんが、心配する必要はありません。私たちが強くないことは神がよく知っておられます。その時になったら、「私たちにとって何が一番大切なことか」を神がはっきりと分からせてくださるからです。

 今は私たちがそのように大きな迫害にあうことはありません。とても恵まれていると言えます。けれども、地球上には今も迫害にさらされ、毎日命の危険の中で信仰を守り抜いているクリスチャンたちがいます。彼らは激しい迫害の中でも決して落胆したり希望を失ったりしていません。中国やイラクで迫害にあっているクリスチャンたちの証しを聞くと、その信仰が生き生きとしていて、希望に満ちあふれていることが分かり、かえって私たちの方が励まされます。彼らは「キリストと苦難をともにする喜び」を経験しているのです。

 迫害がなくても、日々経験するちょっとした困難に出合った時、神が私たちのために払われた大きな犠牲を思い出してください。そうすることは信仰の根本、救いの確信と永遠のいのちの喜びに導く鍵です。それを忘れると、いつの間にか感謝も喜びも消え、不平と不満ばかりが先に出るようになり、心の平安を失ってしまいます。そんな退屈で希望のない人生を、私たちがあくせくと送ったあげく、消えて行くことを神は決して願ってはおられません。神は私たちを限りなく愛しておられるからです。

 イエス・キリストが命をかけて人類の全ての罪を負い、十字架にかかり、復活してくださったのは、あなたの救いを勝ち取るためです。それを象徴するかのように、イースターの時期には、全ての良いことがあなたの前に満ちあふれて展開します。それはこれから来る本当の恵みを象徴するものです。この美しい季節がそのまま永遠に続くのではありません。地上の生活の困難がいつまでも続くこともありません。イエス・キリストの十字架と復活は、やがて来るもっとすばらしい永遠のいのちを約束しているのです。このいのちは永遠に変わることも消えることもありません。あなたのためにイエス・キリストが十字架の死を通して勝ち取ってくださった永遠のいのちを、どうか受け取ってください。神は被造物の中で人間だけに永遠を思う心を与え、希望を持って備えさせてくださっているのです。

 神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。 (伝道の書3章11節)

 御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3章16節)

 神はあなたが神と共に永遠に生きることを願っておられます。イースターの季節を迎えるたびに、ますますその希望にあふれてください。永遠に変わることも消えることもないいのちを持つために、復活のイエス・キリストをしっかりと信じて、最後にはキリストと共に勝利する者となってください。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード世界宣教団 

日本主事  桜井 剛