祝福のメッセージ
レックス・ハンバードのテレビ番組「明日への希望」より
No. 200906
神の御心に沿った悲しみと無益な悲しみ
今日私がお話したいと思っているテーマは悔い改めと罪の赦しです。神は私たちの罪を赦すと言われました。人はみな罪を犯し、神の栄光を受けられない身です。しかし、神のみことばは赦しを保証しています。私たちが神の言われることを行ないさえすれば、すべての罪が赦されるのです。もちろんその保証はカルバリーの十字架においてイエスが私たちの代わりに罪の報いを受けて血を流して死んでくださったからです。
神の保証の第一は、罪の赦しです。私たちが罪を告白すれば神は赦してくださいます。もし、告白して赦しを得なければ、私たちは一生自分の罪あやまちの呵責を背負って生きていくことになります。もし、私たちが自分の罪を告白すれば、神は全ての罪を消し去って思い出すことさえしないと言われるのです。
今日は聖書の中から一つの出来事を取り上げてお話します。ルカの福音書22章に書かれています。
そこはエルサレムの都です。ちょうど夕闇があたりを静かにつつみ始め、月は昇り町には過ぎ越しの祭りが始まろうとしています。町を囲む高い城壁、大きな石の門、ヘロデのたてた神殿、コリント風の扉は実にみごとで一見の価値があります。エルサレムは美しさを誇っていました。城壁の外にはケデロンの谷が広がっています。その谷を渡ったところにゲッセマネの園があります。イエスがひざまづいて「父よ、できますならこの盃を取り去ってください。」と祈られた所です。あなたや私の罪の重さがのしかかるのを感じつつ、額に血のような汗をしたたらせて祈られました。
そこから少し離れたところにオリーブの林が続くなだらかな下り坂があります。そこではペテロが罪を悔いて泣きながら祈っていました。主に赦しを求めて祈っていたのです。それは悔いくずおれた心から出るうめきでした。聖書にこうあります。「神の御心に沿った悲しみは悔い改めを生じさせます。」(コリント第二 7章10節)
神の御心に沿った悲しみは悔い改めを生むのです。その悔い改めの心が罪の赦しを得るのです。
同じころ、もう一人の人が苦い涙を流していました。それは神の御心に沿った悲しみではありませんでした。この人、ユダは主を銀貨30枚で敵の手に売り渡した後それを後悔し、「私は罪のない人の血を流させた。」と言って銀貨を投げ返しました。多くの人がこういう無益な後悔の仕方をするのです。何か悪いことをしてそれがばれたり、面倒なことになったりすると、「しまった」と思います。しかし、神の掟を破ったことの罪深さを本当に悟るのは聖霊が私たちの心に働いてくださる時だけです。聖霊が引き寄せてくださらなければ誰も神のもとに来られません。ただの悲しみと、神の御心に沿った悲しみとは違います。聖霊が私たちの心に罪をお示しになるからです。それは、悪事がばれたための悲しみやしでかした不始末のために困るのとは根本的に違うのです。何がこういう悲しみを起こすのでしょう。思い出してください。最後の晩餐の時ペテロは言いました。
「主よ。あなたとご一緒なら死ぬ覚悟も出来ています。」ゲッセマネの園で主を捕らえに来た者たちと剣で戦いました。彼は本気でした。しかし、イエスは捕らえられ大祭司の屋敷に連行されました。ペテロは遠くから主について行きました。罪には段階的な経過があります。
アル中も付き合いの一杯から始まりどん底にはまるのです。乱れた生活も神の掟を破ることから始まり、次第に罪の深みに落ちて行きます。
ペテロは遠くから主についていきました。そばにいた人に「あなたもあの人の仲間でしょう。」と言われ「いや、あんな人は知らない。」と言ってしまいました。「確かにそうだ。」「いや、知らない。」
「一緒に死にます。」と言ったペテロが、3度も知らないと言ってしまったのです。イエスが言われた通り雄鶏が鳴いた時、主のことばを思い出しました。時にはこうしたことが神のことばを思い起こさせてくれます。母親の悲しみの涙、牧師の説教、1枚のトラクト、賛美歌、あるいは愛する者との別れ。こうした人間社会の出来事が私たちを悔い改めに導くこともあります。そこに聖霊の働きがあるのです。
「父が引き寄せられない限り、誰もわたしのところに来ることはできません。」(ヨハネ6章44節)聖霊が私たちを神のみもとに引き寄せてくださる時、神の御心に沿った悲しみが生まれ、悔い改めに導くのです。主はペテロを赦されました。ペテロは殉教の死を遂げるまで大胆に福音を伝え、多くの人を神に導きました。後悔しても神のもとに行かず人の所に走ったユダは首を吊って哀れな最期を遂げました。
私たちはみな罪を犯し神の栄光を受けられない身です。
しかし、神は言われます。「誰でもわたしのもとに来る者を決して退けない。」もし、罪の重荷があなたを苦しめていたら、どうぞ敬虔な悲しみを持って悔い改めの祈りをしてください。神はあなたを赦してくださいます。