No. 200508
泣かなくてもよい
イエスはたくさんの奇跡を行なわれましたが、その多くが、病気や体の不自由なための苦しみにあえいでいた人たちに対する深い哀れみの心から行なわれたものでした。特に、子どもを失った母親に対してはなみなみならない同情をお示しになりました。
ナインのやもめの息子
それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちと大ぜいの人の群れがいっしょに行った。イエスが町の門に近づかれると、やもめとなった母親のひとり息子が、死んでかつぎ出されたところであった。町の人たちが大ぜいその母親につき添っていた。主はその母親を見てかわいそうに思い、「泣かなくてもよい。」と言われた。そして近寄って棺に手をかけられると、かついでいた人たちが立ち止まったので、「青年よ。あなたに言う、起きなさい。」と言われた。すると、その死人が起き上がって、ものを言い始めたので、イエスは彼を母親に返された。(ルカ7章11-15節)
夫に先立たれ、ひとりで育てた一人息子にさえ死なれてしまった母親の嘆きはどんなに大きかったことでしょう。息子の棺が運ばれるかたわらで、母親は涙も尽きんばかりに泣き崩れていました。誰でもこの母親に対する同情を禁じえないことでしょう。しかし、その悲しい現実を変えることは出来ないのです。
しかし、イエスには出来ます。イエスはその行列に町の門でぱったりと出会われ、母親に深い同情を示して「泣かなくてもよい。」と言われました。
イエスが言われたことばは単なる慰めの言葉ではありません。本当に泣かなくてもいい理由があったのです。「子どもは生き返るから泣かなくてもよい」のです。「青年よ。起きなさい」イエスが権威をもってお命じになると、その悲しい状況が一変しました。死人が起き上がって話し始めたのです。母親の驚きと喜びはどんなだったでしょう。その喜びは当事者だけにとどまらず町中に広がり、大勢の病人、足なえ、盲人がイエスのもとに運ばれてきたのです。
彼らが解放されることは、神の哀れみが直接人々に表されたことを象徴し、救い主到来のしるしとしてヨハネに報告されました。
会堂管理者ヤイロの娘
会堂管理者のひとりでヤイロという者が来て、イエスを見て、その足もとにひれ伏し、いっしょうけんめい願ってこう言った。「私の小さい娘が死にかけています。どうか、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやってください。娘が直って、助かるようにしてください。」マルコ5章22-23節
この記事は、娘の病気が癒されるよう必死で哀れみを求める父親の姿です。イエスが行なわれた奇跡の数々にはどれをとっても個性があります。それぞれの状況にしたがって最もよいことを行なってくださるからです。
イエスは会堂管理者の家に向かわれましたが、おびただしい群集が付き従っていた道の途中で長年の病に苦しんでいた女の人があらわれました。その人は信仰によってイエスの衣のすそに触って病気が癒されました。イエスはその女の人をわざわざ探し出して「安心して家に帰りなさい」と声をおかけになりました。そうこうしているうちに、会堂管理者の家から使いがやってきました。「お嬢さんは亡くなられましたから、わざわざ先生に来ていただくには及びません。」会堂管理者はどんな気持ちでこれらのことを一部始終見ていたでしょうか。聖書はその時の彼の心境については何も記録していませんが、イエスはこの人の心をしっかりと見ておられたに違いありません。そして「恐れないで、ただ信じていなさい。」(5章36節)とだけ声をおかけになっています。
家に着くと人々は泣き悲しんで大騒ぎになっていました。しかし、イエスはおもだった弟子だけを伴って娘のところに行き生き返らせました。
この二つの出来事を通して、私たちが大きな悲しみに直面した時、どうしたらよいかを教えられます。
イエスに願い出て知っていただくこと
イエスはあなたの全てを知っておられます。けれども、願い出ない限りあなたの側にイエスの声を聞く準備が出来ていません。イエスはあなたが語りかけたりお願いしたりするのを待っておられます。癒されるためにはあなたとの交流が必要だからです。イエスは必ずあなたを慰め、力づけてくださいます。
苦しんでいるのはあなただけではないこと
誰でも大きな苦しみや悲しみに直面すると、世界中で自分だけが大きな悲しみを負っているのだと思います。けれども実際にはこの世界は大きな悲しみに満ちており、苦しんでいる人が大勢います。その一人一人が今あなたが苦しんでいるのと同じ苦しみを経験してます。それらの人々の苦しみに同情できた時、イエスがあなたの状況にも同情してくださることを確信出来るようになります。
大勢の病人や苦しんでいる人をご覧になって奇跡を行なわれたイエスがその現実を一番よく知っておられます。それだけではなくイエスはそれをご自分のものとして負ってくださいました。あなたに対してもそうしてくださいます。
最後までただ信じ抜くこと
イエスが会堂管理者にお教えになったことを思い起こしてください。状況がどんなであっても、黙々とただ信じ抜くことをイエスは決してお見落としにはなりません。「恐れないで、ただ信じていなさい。」とイエスは言われます。