祝福のメッセージ:2004ー06

No. 200406

本当に幸せであるために

 

幸せに生きる権利

 人は誰でも幸せになりたいと願っています。全ての人に基本的な人権があり、自分の幸せを求める権利を持っています。けれども、自分の権利だけを主張して、どこまでも自分の幸せだけを求めたら本当に満足が得られるのでしょうか。

 私たちが幸せになる権利を主張しなくても、神は私たちが願う以上に私たちが幸せであることを願っておられます。私たちの本当の幸せは神から来るのです。


神の願いは私たちが100%幸せであること

 神は完全な方です。どこまでも善のお方です。そして、人をご自分の姿に似たものとしてお造りになり、隔たりのない親しい交わりを持たれました。神は人が100%幸せでなければ決して満足なさらなかったのです。けれども、人は神に背いて罪を犯し、その当然の報いである苦しみを負うようになりました。人が苦しみを負って生きることは神の願いではありません。その時から、神は人の苦しみの原因となっている罪を取り除いて人類を救う計画を始められたのです。人が完全な幸せを得られないでいることを神は喜ばれないからです。

 人は幸せで長く生きることを願っていますが、人が罪を犯した状態のままで永遠に生きるとしたら、それは永遠の大きな苦しみ以外の何ものでもありません。罪を持ったままでは神との完全な一致はありえません。その状態が永遠に続くことは神との永遠の断絶になるからです。

 神である主は仰せられた。「見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。」そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。(創世記3章22,23節)

 人は罪を犯したために神との親しい関係を失い、労苦して生活しなければならなくなりました。しかし、その労苦は永遠に続くものではありません。神は私たちが神と断絶したままで労苦を負って永遠に生きることのないように配慮されたのです。


神に造られた者の幸せは神と心が一つになること

 神に造られた者の最終的な目標は神の臨在をいつもそば近くに感じ、神と心を一つにして親しい交わりを持つことです。それによって、必要なときはいつでも助けを求めることが出来るという平安が得られるからです。

 けれどもその前にまず、神と人とを隔てている罪の障壁を取り除かなければなりません。

 

父・子・聖霊の完全な交わりの中に加えられるために

 聖書の教える神は三位一体の神です。 父なる神、子なるキリスト、聖霊は、三つの姿で現われていますが一つであり、完全にひとりの神です。

 わたしを見た者は、父を見たのです。(ヨハネ14章9節)

 わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。(14章11節)

 それはわたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。(17章11節)

 人は神の手の中にいるとき本当の平安を持つことができます。神も三位一体の完全な一致の交わりの中に私たちが加わることを願っておられます。けれども、罪によって私たちは神から遠く離れています。

 イエス・キリストはご自分の命によって私たちの罪を贖って神と私たちの間の障壁を取り除くためにこの世に来られました。それによって私たちは神が限りなく私たちを愛してくださっていることを知り、神との交わりを回復しました。

 さらに、イエスが遣わされた聖霊は私たちの心に働いて神の御心に沿えるように導いてくださいます。

 こうして私たちは神との交わりを回復しましたが、その過程の中で、父なる神-御子イエス・キリスト-聖霊の密接な連携による働きがあったことを知ることが出来ます。私たちは三位一体の神の関係の中にすでに加えられているのです。

 人がどんなに幸せを追求しても本当の満足を得られないのは、まず神との正しい関係を持たないためです。神に造られた者が造られた目的に従った満足と喜びを求めるなら、本当の幸せを見出すことが出来るのです。

 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。(マタイ6章33節)

 まずイエス・キリストのことばとその教えに従って神の御心を求めてください。次にそれを実践できるよう聖霊の助けを求めてください。聖霊はあなたにその力を与えてくださいます。

 あなたが神の御心を実践する時あなたは三位一体の働きの中の一員となっています。イエスの教えに従って聖霊に助けられ神の御心を行なっているからです。その時、あなたは永遠に変わることのない本当の平安と喜びに満たされ、深い充実感を持って人生を歩み、満ち足りた思いで神の国を目指すことができます。

 その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。(ヨハネ14章20節)