No.202105
あなたはきょう、
わたしとともにパラダイスにいます
十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカの福音書23章39-43節)
イエスと一緒に重罪人がふたり十字架にかけられていました。その中の一人が、苦しみもがく中から、「あなたはキリストではないか。それなら自分と私たちを救え」とののしりました。すると、もう一人が、それをたしなめて言いました。「お前も私も犯罪者として当然の罰を受けているのだ。だがこの方は何も悪いことはしていない」 そして、こう言いました。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」
彼は、イエスが教えておられたことをどこかで聞いていて、イエスのことを知っていたのでしょう。そして、イエスが神から遣わされた救い主であり、無実の罪で十字架にかけられていることも知っていたのです。しかも、自分が行なった悪事についても認めて刑に服していたのです。強力なローマの支配下にあった当時です。どんな悪事で十字架刑になったのかは書かれていませんが、彼はそれを受け入れていたのです。肉体的な苦しみは大きかったに違いありません。けれども、彼の心は平安でした。イエスを神から遣わされた救い主と信じていたからです。
イエスは言われました。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカの福音書23章43節)
彼の心の変化がいつどのように起こったのかは分かりません。ただ、漠然と感じていたことが、現実のイエスの姿にふれた時決定的なものとなったに違いありません。
やがて、真昼だというのにあたりは闇につつまれました。3時頃イエスは「父よ、わが霊を御手にゆだねます」と言って息を引き取られました。
イエスの隣で十字架につけられていたこの男は、イエスの最期の様子を始めから終わりまで見ていてイエスが神の子であるという確信をますます強くしたことでしょう。
天国に行くためには難しい神学の知識も、長い信仰生活も必要ありません。それは、恵みを受けるために後からついてくるものです。天国に行くためには、ただイエスを信じて受け入れればいいのです。そうすればあなたはイエスと共に永遠に生きるのです。このいのちを損なうものはありません。
かつて、イエスは福音宣教のために弟子たちを周りの町々に遣わされた時にも、こう教えておられます。
からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません。 (マタイの福音書10章28節)
私たちにとって地上のからだも大切です。けれども、比較にならないほど大切な、永遠に生きるたましいのことを軽んじてはいけません。イエスのために、からだもたましいも健康であるよう努めましょう。そうすれば、何があろうとも大丈夫です。永遠から永遠までも支配しておられる神の子イエスが私たちと共にいてくださるからです。
あなたはもうイエスを自分の救い主として受け入れていますか。心が揺れ動いていませんか。イエスこそ、神と私たちとの間を妨げている罪を取り除いてくださる方です。そして私たちの人生を日々導いてくださる方です。イエスによって神が与えてくださった本来の自分の姿をとりもどすことができるのです。万物の創造主、全知全能の神を愛して、その教えに従って生きようではありませんか。イエスは言われました。
だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。(ヨハネの福音書14章23節)
十字架にかけられる前夜、最後の晩餐の後で、イエスは弟子たちのために祈られました。それは私たちのための祈りでもあります。
わたしがいるところに、彼らもわたしとともにいるようにしてください。(ヨハネの福音書17章24節)
イエスを救い主として信じているなら、あなたは今もこれからも、永遠に主イエスと共にいるのです。