祈りの家族への手紙:2024-08

2024年8月 

 親愛なる祈りの家族の皆さま。
 連日、熱中症注意報が出るほど厳しい暑さが続いています。あなたが主の御手で 守られますよう毎日お祈りしています。

 さて、ずいぶん昔のことですが、私がまだ幼い子供だった頃、私の家ではラジオが一日中聞こえていました。NHKの朝の「名演奏家の時間」でいつも目が覚めました。クラッシック音楽の知識などなかった私にも心地よく響きました。

 ラジオを聴く習慣が続いていた私に、やがて、キリスト教の番組が耳に入って来るようになりました。その番組は毎回「それ神は、その独り子を拾うほどに世を愛 し給えり。」という言葉で始まりました。

 当時、 私の家族にクリスチャンは一人もいませんでしたし、周りにもいませんでした。文語訳聖書でしたからなおさら、子どもの私にはそれがどんな意味か分かりませんでした。しかし、何度も聞いているうちに、そのことばは不思議に心に残りました。

 それから何年もたって、大学生となった私は、そのことばに再び出会うことになりました。それこそ私の魂を揺さぶり、人生を変える本当の出会いでした。神はこの時に備えて、あらかじめあのラジオの声を聞かせてくださったのだと思います。その時には分らなくても、振り返って見ると全てがつながっていることが分かります。それを神の導きと呼ぶことが出来るでしょう。

 神は大切な独り子を、この世の私たちのためにお与えになるほど私たちを愛し、大切にしてくださっているのです。その愛は無限大とも言うべき大きなものです。無限大はどんな数で割っても無限大です。世界中にどんなに大勢の人がいようと一人が受ける神の愛の大きさは無限大です。その無限大の愛を神はあなたにも私にも注いでおられるのです。

 聖書は神の無限に大きな愛を伝えようと、言葉を尽くしていますが、その一つに放蕩息子の話があります。これは、イエスご自身が人々にお語りになったたとえ話です。聖書をお持ちの方は、新約聖書ルカによる福音書15章をお読みください。

 そこには父なる神のもとを離れてしまった私たち人間に対する神の切なる思いが一人の身勝手な息子と、愛に満ちた父親の物語として描かれています。

 ある豊かな人に、二人の息子がありました。ある時、二人のうちの弟が「自分が受け取ることになっている財産を今私にください」と要求しました。

 父親が彼の受け取るべき財産を渡すと、何日もしないうちに、彼はその財産をまとめて家を出て、やりたい放題で遊びに明け暮れ、財産を全て使い果たしてしまいました。ちょうどその頃、大飢饉が起り生活にも困るようになって、当時では一番嫌われていた豚飼いの仕事にやっとありつきました。みじめな生活と飢えの中で彼は、かつて父の家にいた頃の豊かな生活を思い出して、はっと我に返り、父に詫びて、下僕の一人となって働かせてもらう決心をしました。ところが、彼がまだ家から遠く離れていたのに、父は彼を見つけて走り寄り、抱きしめて彼を迎えてくれました。息子は言いました。「私はあなたに背いて、罪深い生活にふけり、いただいた財産を全て使い果たしてしまいました。もう息子に戻る資格はありません。どうか、あなたの下僕の一人として働かせてください。」

 けれども父親は彼を自分の家に迎え入れて、大勢の人を招いて歓迎の祝いをしました。与えた財産よりも何倍も大切なのは息子自身だったのです。

 私たちも生まれた時から、父なる神の無限大の霊的ないのちの財産を受け取っています。それをどう使うかはあなたの自由ですが、それを使い果たして、後には惨めさだけが残るようであってはいけません。しかし、たとえ今そんな状態だとしても、まだ間に合います。この放蕩息子は父のもとにいた時の無限の豊かさを思い出して家に帰る決心をしました。

 神に背いて出て行ったどんな罪人でも、罪を悔いて帰って来るのを神は待ち続けておられます。 天の父が我が子をお忘れになることはありません。

 悔い改めの祈りは、今あなたの身近にある問題の解決と同時に、それによって学び、過ちを反省して、神のもとに帰ることを促してくれます。神が私たちのために願ってくださっている永遠のいのちに至る、豊かで正しい歩みが、 そこから新しく始まるからです。

 感謝なことに、祈りの家族のほとんどの方が、 すでに神のみもとに戻っておられます。けれども弱い私たちは、クリスチャンになってからも、この世の波風に流されて神の家から時々迷い出てしまいます。すると、私たちの内に住んでおられる聖霊が「いけないよ。あなたは今危ないところにいる」とささやいてくださいます。それを聞いたらすぐに神のもとに帰りましょう。

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3章16節)

 このみことばは私たちの出発点であると同時に最終目的地を示しています。神はあなたを愛して、人生を初めから終わりまで、そして永遠のいのちに至るまであなたと共に歩んでくださいます。あなたは愛されているからです。

レックス・ハンバード祈りの家族 

桜井剛